余計なお世話に対する感情にあだ名をつける話

※制限時間40分でブログを書いてますが。

 

そんなことは分かっている。それが正論で出来たら苦労しない。ということを言われると、それが親切心から発せられたものだったとしても一瞬ムカついてしまう感情に名前を付けたいと思った。

 

相手に自分の考えた適当な名前をつけて、その名前を呼ぶというのが結構好きでよくやっていたのだが、あだ名付けはその人に対するマウンティング行為*1だと指摘されてから、命名イップス*2になっている。とはいえ、幼稚園くらいで家族以外の人と交流するようになってからこれはやっているので私なりにちょっとしたルールが生成している。人に対してこれを行う場合には情報が多すぎても少なすぎても良くなくて、出会って30分程度の間で聞いたことを元に名付けるくらいが丁度いいというものである。

というのも、30分で聞けることではそんなに芯を食い過ぎる、その人を説明しすぎるあだ名というのは付けようもないし、かといって全くもってその人の説明にならない的外れなものだと他の人(名づけた相手本人含めて)には認知はしてもらえないので、当たらずとも遠からずのあだ名を生成するために必要な時間が30分だと思っているというわけである。

 

偉そうに命名経験値に関する話をしたが、問題は「そんなことは分かっている。それが正論で出来たら苦労しない。ということを言われると、それが親切心から発せられたものだったとしても一瞬ムカついてしまう感情」への命名であった。

この感情が生じる場面というのは食らう相手にっとっては不意打ちであり、かつ、既に考えていたことへの浅はかだと思われる指摘だから、少なくとも不意打ちをくらわそうとしてきた相手よりも自分の方がそれについて長く深く考えているのだという自負心がないとムカついて来ない。唐突に言われたことではあるが、ずっと考えていたことでもある。

それを食らわす相手側の事情としては挑発目的というよりは、何の気なしに思いついたことをポロっと言ってしまい、それが相手の地雷を踏む発言であったといった感じだろうか。親切心で言っている場合は相手がそれに気付いている可能性も考慮しつつの助言のつもりであったりするのかもしれない。が、いずれにせよ相手のデリケートな部分に土足で不用意に(この不用意は言われた側が感じることなので言った側がどれだけ用意して話したかは問題にならない)踏み入ってしまう行為ではある気がする。

そして、会話の流れでこの感情が生じる場面は、メロディーラインの転調のように、その感情が起こる前後で多かれ少なかれ流れに変化を生じるものであり、言われた側はムカついていて、言った側は(ムカついているのを知ってるか知らないかはその発言の意図によるがいずれにせよ)発言前と調子を変えない。

 

あと5分しか残っていないが、そろそろ私なりのこの感情への命名案を出さなければいい感じに終われないから、ここまで考えたうえでの名前を決めようと思う。

感情の生じる時間は短いので名前自体も短く「是薄(ぜぼ)」と呼ぼうと思う。

読んで字のごとく薄っぺらい正論という意味である。吐しゃ物(げぼ)のように言う側がこらえきれずに吐き出す感じを響きに出してみた。

 

どちらかというと、その感情を想起させる原因となる発言についての命名になってしまったが、「これ薄っぺらいわぁ」と思っている状態を表しているつもりなので、感情への命名ということにしておきたい。40分で書きながら考えたオチにしては秀逸だと私は勝手に満足している。

でも「その発言はゼボですね。」とか言ったらまたケンカになりそうだし使われなさそうな気もする。

 

※あとで調べてみたら、簿記の簿から薄も「ボ」って読めるかなと思っていい加減にくっつけましたが、読めなそうな感じなのでこの漢字の当て字は適切ではなかったようです。(薄の音読みは「ハク」)

※この話を考える元となった本