勉強してないからネタが思い浮かんでない話

※制限時間60分で書いてますので、オチがないこともあります。ご了承ください。

 

せっかく広告を貼る設定にしたので出来れば毎日ブログを書いていきたいと思うが、思いの外勉強する時間が取れていないので話のネタも思いつかず、パソコンを立ち上げるのすら億劫な状態になっている。行動をしてみるとやる気はついてくるみたいな話も聞いたことはあるがこれに関しては元の研究の誤解であるという話も聞いたこともある*1ので、書いてるうちにやる気がちゃんと出るかは分からないが、とりあえず思いついたことを適当に書いてみようと思う。

 

「勉強するから何をしたいかわかる。勉強しないから何をしたいかわからない。」というニュアンスのことをビートたけしというお笑い芸人が言ったらしいが、前半に関しては同意しかねる。何をしたいかわかるために勉強は必要だとは思うが、漫然と勉強しても何がしたいかは必ずしもわからないと思う。

勉強が足りないからそんな風に思うといわれてしまうとそれまでな気もするが、興味のあることに関して色々と本を読めば読むほど自分が思いつくような「やりたいこと」は既にやりつくされていて、「よくわからないこと」が増えて、この「よくわからないこと」を「自分があほなのでわかってないこと」なのか「人類全体でわかってないこと」なのかをジャッジするのが大変な作業で、ジャッジ自体のためにも勉強は必要だし、前者であればそれをわかるためにさらに勉強が必要で、後者であれば研究のテーマとしてようやく面白そうであるものを見つけたことになると思っている。

話がよくわからない感じになってきたが、勉強をするにしてもその勉強によって「やりたいこと」を見つける前提として好奇心の軸が出発点としてあるので、そもそも何を見ても興味がわいた経験のない人にはとりあえずでむやみやたらに勉強をさせたところで好奇心が出てくるまでは勉強は苦痛でしかなく、「やりたいこと」を見つかるまでもたどり着かないのではないかと思う。

行き当たりばったりで文章を書いているのでまとめようと思った文章でさらによく分からなくなってきたが、とにかくビートたけしの勉強「名言」に対して直感的に思ったことを一言でいうと「勉強したことない人に言ってるな」というもので、これが名言として扱われてること自体にかなり違和感を感じたのでブログのネタとした次第である。

 

結局書いてみて、やる気は相変わらず出てこなかったが投稿できるくらいの長さの駄文は出来上がってしまったので、最近読んでる本を1つ紹介して終わりとしようと思う。

 

最近読んでる本

 「人体のメカニズムから学ぶ方放射線生物学」

放射線と細胞生物学についてどうじにざっくりと学べるお得な一冊。

某北の大学の北側の図書館で借りた。

例えの表現が直感的にわかりやすく、放射線による人体への影響を分子・細胞レベルから臓器・個体レベルまで広くまとめてあり、好奇心を刺激するうえでとてもいい本だと思って今読んでいる。各章に簡単な知識の確認問題があって、寝る前によむと内容を思い出せるのでその点も気に入っている。

 

明日からも(明日からは?)楽しくお勉強していきましょう。

友人がLeonになった話

※1時間という制限時間の中で書いている文章ですので、結末が尻切れトンボでもご了承下さい。

 

お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、書いたブログで広告収入が得られるように設定を変えた。あんまり人が見ていないうちに鬱陶しい広告バナーが出てくるように設定してしまうのはいい方法ではない気もするが、あんまり人がいないうちからやっておくことで見ていただけるようになった際に切り替えるよりも影響が少ないという見方もできる。というか、そもそもこのブログを始めてからの累計視聴数でも1000を超えていないので、あまり収入がこのブログで得られるであろうことを期待していない。

設定としてそういった機能があるので触ってみたかった、というのが広告収入設定に切り替えた主な動機で、もし万が一お金が得られた際には脳学校の活動に7割くらい投じようと考えている(ブログ書いてるのは私(校長)だけなので、3割はしれっと着服する。)

土台としてあまり期待はしていないが、以前よりも頑張ってブログを書く意味も出てきたので今月は先月よりもちょっとでも多く書けたらいいなとボンヤリ考えている。

 

前置き(というか、ブログの設定の話)が長くなったが、今回書こうと思っている内容は前置きとは全然関係ない話である。

 

最近久しぶりに映画を見た。

現在私は薬局に薬剤師実習のために通っていて、その実習先で一緒に勉強している実習生の子が某ネクスト系のサブスクリプションに加入していると聞いたので、映画をタダで見られるチャンスかなと捉えて、彼を実習終わり家に誘って、Leonを見た*1

平均的な大人が一日に平均20分ほど書類を探すという話*2を聞いたことがあるが、毎日30分くらいは自宅で書類を探しているくらいには部屋が汚い私は滅多に人を家にはあげない。しかし、今回は映画見たさが汚部屋に対する羞恥を上回った。

それほどLeonを見たいと思った理由は、オードリーという芸人コンビのオールナイトニッポンというラジオ番組に触発されたためである。そのラジオの少し昔の回で「自粛期間中の過ごし方として、本当は長期休みを利用して新しいスキルや知識など、休み明けに使えるようなものを習得するべきであるが、ついつい昔好きで見てた映画を見て過ごしてしまう」というような会話があって、そこで挙がっていた映画の中で私がまだ見ていなかったのがLeonであった。少し前に見たいと思っていたのが継続していて、積もり積もって最近その欲求が爆発したという感じである。

余談ではあるが、先延ばし癖はストレス過剰による健康問題(頭痛や不眠症、消化不良など)と相関があるという話を聞いたことがある*3

かくして、Leonを自宅で見ることになったのだが、事前にこの映画について予習していた情報では「無敵の殺し屋が少女を拾って愛を知り脆弱になっていく物語」とくらいにしか知らなかった(この情報はオードリーのラジオとはまた別のところから伝聞的に得たもの)ので、久しぶりにワクワクしていた。

 

内容については映画を見るかWikipediaを参照していただけるとよいと思うので書かないが、視聴後の内容に対する感想としては、そんなに評価されるほど面白いかな?というものであった。期待値があがり過ぎてしまったということもあるのかもしれないが、正直そのサブスクリプションサイトでの評価が満点に近い理由が理解できなかった。

悪いことをしていた人が悪いことをしていた人と相打ちになって死んだだけ。片方の悪い人が死ぬ前のちょっとの期間だけいいことをした部分を切り取って見せられてもなと思った。

ただ、一緒に映画を見ていた友人が少し性格や姿勢がLeonに似ていたため、「君、Leonじゃん」と映画上映中に言い続けていたせいか、映画が終わったときには彼の言葉遣いがすっかりLeonチックになっていて、Leonと同じニュアンスでヒロインの少女を好きになって、Leonが最後に死んだことでちょっと悲しんでいた。視聴直後、彼はLeonになっていた。私は彼のその感受性の豊かさ、純粋さに感動して思わず笑ってしまった。

一人で見ていたらおそらくこうはなっていなかったが、二人で見れたという状況も込みでいい映画だったというのが、最終的なLeonに対する感想である。

 

文が切れるところまでまとめるのに1時間を10分過ぎたので、ここで終わる。

 

※今回見た映画

今ほしい本のリスト(2021年6月)

欲しい理由:研究している分野が味覚と嗅覚に関わっていて、研究を通してどういうことが分かると社会の役に立つかを知りたいため。

 

欲しい理由:お友達が就活をするうえでの地雷回避の基準として労働法に違反していないかということを気にしていて、その知識がかなり役に立っていそうだったため。

 

欲しい理由:大学の敷地内にパノプティコンがあるため。

 

欲しい理由:持っている情報学のテキストだけだとイマイチ内容が分かりにくく、神経にからめると理解しやすいのではないかと思うため。

 

欲しい理由:脳の生理現象について単純に知識不足、常識を知らなすぎるなと感じるため。

 

文章めちゃくちゃ卑屈だけど挽回する展開を書く時間がなかっただけで本当はすごい元気なので心配しないでください。

※今月も1時間以内という制限時間でこのブログを書いていきます。

 

5月の下旬ごろから学部のカリキュラムで薬局へ実習をしに通い始めた。

絶対に遅刻できないと思い毎朝寝坊しても5時には起きられるように、遅くとも21時には就寝するようにしている。大体は2時から3時に起床できるので、その時間から実習先に向かう8時30分までを好きなことを勉強する時間にあてている。

それだけ毎日自由時間があればよほど勉強が進んでいるのであろうと思われるかもしれないが、そこは私の持ち前のクズ人間ぶりを発揮しており、その時間の半分くらいをYoutubeに吸い取られてしまっているのが現状である。寝起きに動画を一つみて布団から出ようと思い気が付いたらもう6時くらいになってしまっていて後悔するという朝を何度過ごしたことか。きっと明日も同じことで悩むのであろうと思うと依存症の自身が情けなくて涙が出てくる。嘘をついた。泣いてはいない。

余談ではあるが、辛いときに流す涙にはコルチゾール(ストレスホルモンとしてよく言われているもの)が通常より多く含まれており*1、長く泣いているとエンドルフィン(いわゆる脳内麻薬で痛みを和らげる)が出るため、泣いた後すっきりしてくるという話もある。*2

 

後悔の元となっている朝のルーティンの過程で懐かしい曲をみつけた。

挫・人間の「品がねえ 萎え」という曲である。*3このMVを見ていたのは大学2年生の夏ごろであったかと思う。

この手の人をおちょくっておきながら自分は弱いんですというスタンスが結構好きで、下級学年でまだ先輩の多かった当時は自分に重ねて一日一回は聴いていた。

優秀な人間は悪いことをしているに違いないという偏見、弱者が強者を憎む感情についてニーチェルサンチマン*4と表現していた本を昔少し読んだ気がするが、それとは少し違う卑屈さのある歌で、とにかく何だかうわべだけ取り繕って本質的に品がない人多いよねという例の詰め合わせのような曲だと解釈している。かつては、サークルでお山の大将を気取っている先輩を冷笑していたが、おそらく今は私が小ばかにされる品のない人間の側になっている。

 

本題はそんなことではなかったがちんたら書いていたせいでここで1時間経ってしまった。明日時間があれば今日書きたかったことを書こうと思う(ダメ人間にありがちな後回し)

 

 

読書感想文「あんな「お客(クソヤロー)」も神様なんすか?」を読んで

「お客様は神様」を盾に横柄な態度をとる人類は一定数いて、「日本人は礼儀を重んじる」というステレオタイプが嘘であるのでは、という疑念は接客業のアルバイト経験のある方なら多少なりとも感じたことがあるものかと思う。

この本の副題に「「クレーマーに潰される!」と思ったときに読む本」とあるように、お客様からのクレームをうまく対処するための本であり、近々始まる薬局での実習を見据えて読んでみようと思った。

 

構成としては、著者が住宅営業マン時代に受けたクレームの内容とそれをどう解決したかということに関する具体的なエピソードが集められている第一章、そのクレームをどう受け取って自分の中で処理をして活かす方向にもっていくかという考え方の部分が中心の第二章、そのクレームを活かす具体例として著者が行った「過去のクレームをお客様に伝える」という方法の詳細が書いてある三章という感じになっていた。

あとがきも含めて全230ページの本であるが、第一章の部分に160ページほど使われており、二章はよく聞くような内容だったし、三章は著者だからうまくいった感が否めない。従って、第一章のエピソードの部分を通してこういうクレーマーがいるのかという部分が一番よく記憶に残っている。

 

中でも自分もそのクレーマーに加担しかねないと感じた部分が入れ知恵をするセミプロが裏にいるタイプのクレーマーである。

私はなまじ大学で薬学をかじったばっかりに親族の食生活に口を出したり、使っている薬の副作用について(医者があえて説明していないか、親が話を聞いてないかわからないが)余計な数字を教えたりしているので、ストーリー中に出てくる深くは分かってないくせにプロの円滑な業務を邪魔するようなケチをつけるセミプロの方の立場に感情移入して読んでいた。

そうは言ってもプロだって全員がまっとうであるとは限らないと少ない経験上思っている節がある私としては、口を出したくなるセミプロ側の心もわからないでもない気がしていて、ケチをつける意味を理解していないクレーマーに入れ知恵をするのではなく、このセミプロがキチンと勉強したうえで、プロに「質問させていただく」というスタンスの元直接話せば、建設的なやり取りができたんじゃないかなどと思って読んでいた。

現実的には、セミプロにもクレーマーと別の生活があり、直接プロと喋ったり、クレーマーの現状について詳しく勉強する時間を取れないという事情があって、それでもセミプロの未熟なセンサーに引っかかってしまうものをどうしても身内に伝えたいという衝動もあって、時間は割けないが口は出したいという両方を無理に両立させようとする結果、入れ知恵という形でよく分かっていないクレーマーにクレームをさせるという形をとらざるを得なかったのではないかと想像すると、私は生半可なクセに入れ知恵をしていることに対する反省の気持ちが沸いて非常にページをめくる手が重かった。

また、セミプロかネットに入れ知恵されて、そんなことはプロの立場から見れば既に考慮済みの浅い指摘でクレームを入れてくる人というのは、薬局という場においては一番想像しやすいクレーマー像であったことから、クレームを(これから)受ける側としての立場でも読むことができて、その対応の過程を見て「なるほど」と終始うなりながら読んでいた。

 

タイトルからクレーマーとはいえ客をクソヤロー呼ばわりして悪口をいっぱい書いてある感じの本かと思い、それを期待して手に取った本でもあったが、終始口語でのお客様は神様でいらっしゃる調の接客文体で、内容も結局クレームが生じてしまうのは一定はこちら(プロ側)にも責任があるものとしていて、ある種期待はずれな内容ではあったが、実習の前に読んでおいてよかったと思える本ではあった。

 

※今回読んだ本

www.kobunsha.com

「これだから大学生は」とナメられる隙を与える話

昨日、一昨日に引き続き好きな音楽の話から始まって、もはやこのスタイルに味を占め始めたと思われても仕方ないかもしれないが、今日はOKAMOTO’Sの「うまくやれ」という楽曲についての思い出から始めようと思う。*1

この曲は高校の頃のバンドを解散して大学に入ってから知ったもので、演奏はしたことはないが、研究室からの帰路でよく聴きながら歩いていたので歌詞を覚えるまでに至った一曲である。

私のこの歌詞に対する解釈は、具体的なアドバイスは特にないしこれをすれば正解というものは正直分からないが、とりあえず遊びながら「うまくやれ」ということを言ってるだけ、というハイパー適当なものであるが、この曲で私は中庸*2という言葉を思い出す。

中庸とは、行動・考え方において極端に偏ることなくちょうどいい加減(単なる平均値や中途半端とは違う本当に妥当な加減)を見つけてそれを目指すというような意味で(この説明は雑な方に偏り過ぎたものかもしれないが)ある。この「うまくやれ」という曲単体ではとにかく遊びながらやれというようなことしか歌っていないが、言われたことに従順になり過ぎている人に向けて歌うことで中庸を促している気がするので、そういう意味で好んで聴いていた。

実際は、「適当」を「粗雑」と履き違えて、まったく話にならないような程頭がすっからかんで大した思考力を持ち合わせていない凡人が大多数で、私もその一匹でしかない以上、歌詞通りに遊び惚けて到底人間らしい中庸の実現は望むべくもないものと考えられるが、果たしてこの今私が信じている「善」はこの熱量で傾倒し続けていいものであるのか否かを疑う上でこの曲は薬になると感じている。

要約すると、この曲を聴いて真に受けて遊ぼうとは思わないけど救われる感じはあると言っているので、癒しを求める方は是非聴いてみてほしいというのがこの曲紹介での主張である。

 

さて、前置きで45分使ってしまったので残り15分で本文を書かなくてはならなくなったが、今回話題にしようと思ったのは、うまくやるためにはストレスも必要なんじゃないかなと考えたということである。

私は大学受験期に過度のストレスで消化器にダメージを受けて、受験本番直前の追い込み時期の一か月間を病院のベッドで過ごした経験があることから、いかにストレスフリーで毎日を過ごせるかを中心に考えて大学生活を過ごしてきたつもりである。

しかし、あまりにもストレスから逃れる生活をしていると、これはこれで偏った堕落人間ができあがるのではないかと恐ろしくなっているのが昨今の考えである。既存の規範に背いて堕落し続けることは難しいことであるというのは坂口安吾堕落論*3でも言われていたことであったろうか。

最近、学習をする際には神経細胞内で細胞に対するダメージへの応答で働く分子が関連していたり*4、炎症時に誘導される分子が重要な役割を果たしていそうであったり*5と、「ストレス」と思われる反応が新しいことを覚えるのに重要そうであるという話を立て続けに聞いたこともあって、ストレスも適度に受け止めていく生活にシフトした方が私にとっては中庸の実現に近づくものではないかと思い始めたのである。

まぁ要らないといってもストレスは誰かが勝手にくれるものだと思うので、ぜいたくな悩みの話をしてしまったなというところで時間切れ。

まーの痛風の話

ミスターチルドレンの楽曲に[everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-]というものがあり、過去にバンドを組んでいた私は、(そのバンドで実際に演奏したか記憶は定かではないが)少なくとも一度その曲を演奏したことがあった影響で珍しく歌詞まで把握している。

「みんな病んでる」というフレーズはその楽曲中のサビ終わり部分のもので、いわばその歌詞の結論に相当する部分だと思って聞いていたが、実際どうなのかは確かめていない。ミスチルに対する熱量はその程度である。

この楽曲の歌詞を表面的に解釈すると、その楽曲が発表された当時の社会の闇について述べて、健全な顔をして暮らしている現代の人々もどこか気持ちが病んでいる部分を抱えている、というようなことを歌っているものであると考えられる。

 

今日の話題は別に、ミスチルのこの曲の歌詞を考察しようというわけでも、コロナ禍での人々の心の闇を論じようというわけでもなく、身体的にみんなどこかしら故障している部分があるよねという話の一例として私の父親の痛風の状況を報告しようというものである。

 

私の父親(通称まー)は現在50代であるが、私の20代の友人達を観測するにもう既に身体的に故障している人はたくさんいて、部活での膝肘の故障、腰痛持ちのほか、内臓に後遺症を残すタイプの人や感覚器に異常がある人もいる。新型コロナウイルスの後遺症として嗅覚が以前の状態に戻らなくなった*1知人も、認知していないだけで周りにいるのかもしれない。

私の周りでは身体的に病んでいる人の方がそうでない人より多いので、みんな何かしら病んでいるという偏見がある。その偏見のおかげで父親が痛風を理由に最近ワーワー騒いでいるのを見てイライラすることとなってしまっているのだが、昨日の話題と重複するので父親の痛風アピールがうっとうしいという話はこの辺でやめておく。

まーの痛風をきっかけに、この病気に興味がわいたので最近は一日1時間は痛風について調べる時間がある。教科書的な痛風の流れを父親のアピールと照らし合わせて読んでいくと、どうやらまーは教科書通りのオーソドックスな流れで痛風が進行しているらしいことが分かって面白い。まー自身も漫画の「はたらく細胞*2で見た通りのことが起こっている感じがするといっていて、なるほど科学というのは確かに人体の不調についても概観するのに役立つのだなということを実際の痛風患者を通して感じた。

教科書のほかに、痛風の根底にある高尿酸血症という尿酸が血液中に多い状態が脳に与える影響は何かないかとググったところ、尿酸値が高めだと認知症になりにくいかもしれないという話*3が出てきて、尿酸が完全な悪玉とも言い切れないかもしれない(まぁ尿酸は体内で合成されていて、多くも少なくもならないようコントロールされているので絶対悪ではなさそうではあったんだけど)ということに驚いた。

まーの食生活の面では、痛風は尿酸が結晶化すると痛み、尿酸の結晶化は血液が酸性に傾くと起こりやすいとの話から、その酸性化を防ぐべく海藻やジャガイモなどの料理を食べているらしいが、飲酒はやめていない(プリン体を気にしてビールは避けている)らしいので、それが痛風にどう影響していくかが今後の楽しみである。

 

毎度ブログは制限時間60分で書いているので、本当はもっと痛風の話をしたかったが今日はここで尻切れな感じで終わる。