真夜中に一人缶ジュースを持って右往左往する愚者の話

まえがき:

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という使い古されたフレーズがあるが、これを知っていてもなお経験にしか学べないのが愚者の悲しき性というもので、この状況を改善するべく色々と本をつまみ読みしたり、先駆者の話を聞いてそれを参考にしたりと努力はしているものの、そこで知識として得た失敗例をそのまま再現して初めてその知識が意味するところを少しだけ理解できた気になったりならなかったりである。

くどい言い回しをしたが、要するに色々と勉強をしたつもりにはなっていてもその知識が身になっていないことが多く、失敗が確定したときに「あ、これ進研ゼミで見たやつだ!」という状態によく陥る。

進研ゼミの漫画を例えに出したが、あれも問題に出会った際に過去に習ったやつだと思い出していて、どちらかというと賢者ムーブよりの例であると考えるのが適当であると思うが、細かい話には目をつむって読み飛ばしていってほしい。

 

本文:

九州大学発のベンチャー企業が開発した逆エナジードリンクなるジャンルの清涼飲料をご存じだろうか*1

私は脳学校メンバーが紹介してくれたことでこの商品を知り、愚者特有のとりあえず衝動買いを発動させ、12缶分のチルアウトを手に入れた。このドリンクの謳う効果としては、GABAをはじめとする成分で脳をリラックスさせるというもので、これによって創造性を発揮できるかも?という旨の記事に惹かれて購入に至った。飲んだ前後でどういった変化が起こるかを自分なりに記録しておきたいと思い、評価軸はあまり決めずにとりあえずドリンクを飲んで、その後に感じる変化っぽいものをリアルタイムでパソコンにメモしていった。

事前知識として、「GABAを経口投与したところでそのGABAが脳には到達しなそうではあるものの、どういう仕組みかは不明ながらリラクセーション効果を発揮する*2」という話はざっくりと知っていたが、他の成分がどういう効果のあるもので、飲み物を飲んだ後何分くらいまで効果が続くかもロクに勉強せずに記録を始めてしまったものだから、何をジュースの効果だとメモすればいいのか、いつまで記録をつければいいのかが全然分からず、なんとな~くでの記録となってしまった。

ヒトには不規則な情報からも意味を見出してしまう(例えば、天井の木目が人の顔にみえたりとか)避けがたい偏見があり*3、これを避けるためにも本当は事前に分かっていることは調べてから記録をしていくべきなのだが、今回のような何となくで付けたドリンクの効果に関する記録はこの意味がないものに意味を見出してしまう偏見にまみれている可能性が高く、ノイズの多い煩雑な感想文になってしまった。こういう偏見がヒトにはあるということ自体は知識として知っていて、以前にも似たような失敗をしてそのときにも勉強してから遊べばもっと面白かったのになと後悔したものであったが、またやってしまった。歴史から学ぶこともできず、経験からも学びきれていない愚者中の愚者な振る舞いである。

私はかいけつゾロリという絵本が好きで、真面目に不真面目を大切に生きてきたつもりであったのにこの体たらくである。

明日からまた学校が始まるが、残っている大学の課題に、その遊びのために勉強することをサボった自身への怒りをぶつけつつ、1人寒い部屋の中でお勉強に対する熱意を燃やし、結果的に全然チルアウト出来ないのであった。

 

あとがき:

今回は缶ジュースを飲んで記録をつけるという一人遊びの話を勉強に対する姿勢と絡めることで引き延ばした話で、実際にはそこまで深刻に捉えてはいません。しかし、不勉強を楽観視するのも、「学生」としてそれはそれでよくないと思うのでちゃんと経口投与後の体内動態など学部の勉強に関わる話などは、きちんと復習していこうと思います。(誰に対する宣言だろ)

遊びがエキサイトしたので無駄に熱い文章となってしまっている気がしないでもないが、北海道の気候を生かして無料で物理的にチルアウトしてから寝ようと思います。

明日からも頑張りましょう。

 

 

 

童貞だらけのコミュニティでも人見知りした童貞の話

まえがき:

1900年代初頭だったか、かつて日本にも童貞が称揚されていた時代があったらしい。*1しかしながら、現代社会においてはチンパンジーが多数派を占める為か、童貞はカッコ悪いものであるという認識が浸透している。年がら年中発情期であるのが人間らしさであるとの見方もできるから、むしろ「チンパンジー」の方が人間的であると言えるのかもしれない。*2と、冒頭から品のない言葉の羅列がお見苦しくて申し訳ないが、このブログの裏テーマである「毎回の投稿で3つは参考文献を載せる」をクリアするために仕方なく書いたまえがきなのでご容赦願いたい。

本当のところをいうと、童貞であるかそうでないかはあまり意味のあることだとは思っていなくて、というのも、それを見分ける方法が無い以上童貞であるか否かは自己申告制であり、童貞と言われるのが嫌なのであれば嘘をつけばいいだけの話だからである。

私は童貞と表明するだけで周りが若干バカにしてくれてハードルが下がったり、よくよく考えると筋が通っていない理屈も「童貞なんで」というだけで納得していただけるケースがあって説明を省けて便利なので、とりあえずその状態を隠すことはしていない。

むしろ、私にとってより深刻な問題は童貞以前に、(家族も含めて)他人と長いこと話すと次の日に下痢をしてしまうほどに深刻な人見知りにある。

 

本文:

証拠もないのに「童貞なんです」と申告するだけで、結構プライベートなことを話した感じに受け取ってくれる方は多く、この申告を挨拶代わりに大学では知り合いを増やしていったと言っても過言ではない。余談ではあるが、雇用における肥満体への差別は人種差別よりも深刻であるという話があって*3、そう考えると童貞など全く話にならない程小さな問題ではあるが、少なくとも大学生の内はそんなことが妙な仲間意識を生みだすことさえあったりする。ノルマクリア。

先日もご縁があって、新しい童貞のお友達がたくさんできた。彼らには歓迎していただき本当にありがたいことではあったのだが、実はあのとき初めての人が多すぎて、普段極度の人見知りで家族といるだけでも下痢を催す私は、例に漏れず今回も強い波を催して、トイレを理由に勝手に途中退出してしまっていた。感じ悪いと思われてしまったかもしれないがここに懺悔したい。

全体的に何を言ってるのかよく分からない感じになってしまったかもしれないが、眠たいのでいつものように書き直したり推敲はせずこのまま投稿しようと思う。

 

あとがき:

結局、タイトルで大きく振りかぶった割には「私が周りになじめず下痢して帰った話」を書いただけなので、童貞論を聞きたかった方にとっては釣りタイトルになってしまい申し訳ありません(そんな人いるのか分かりませんが)。良い休日を。

 

 

諦めるとか考える以前に試合終了している話

本文:

平日かつ明日はテストなので手短に打ち直さず一気にブログを書いていこうと思う。

テストとは言っても、学校のテストではなく趣味で受けている某無線の国家試験のことで、別の学校での試験に注力していた影響でこちらの国試の対策はほとんどで出来ていない。一昨年の10月(11月?)にも似たような国試の勉強をしていて、この試験は前日に飲み会に参加して朝の4時くらいまで夜の街で遊んでしまい、試験に寝坊して落ちた。

今回の国試に関しても、もう勉強する気すら起きていないが、Youtube依存症を逆手に取って、底辺Youtuberが挙げている国試過去問解説動画を見て内容をザっと暗記して、国試に臨もうと思う。2日間日程の国試に対する勉強期間が2日なのは、我ながら呆れてしまう。

余談ではあるが、睡眠にはREM睡眠とnon-REM睡眠という層があって、non-REM睡眠は睡眠後の(視覚)学習効率の向上、REM睡眠は記憶の固定に関与しているという。睡眠の層別の機能が最近になって分かってきたというのがすごいということらしい。REM睡眠はnon-REM睡眠の後にくる層で、REM睡眠とnon-REM睡眠が1周するまでに約90分必要であるから、REM睡眠に入る前に起こされてしまうと記憶が定着しないということも言われているようなので、今日はどんなに勉強を延長するとしても午前3時までには寝ようと考えている。(※1)

国試の後に実験も予定しているので、あまり疲れは残せない。そのくせにブログなど書いて現実逃避をしているのである。落ちたときの理由を自ら作り出すセルフハンディキャップの典型な気がする。(※2)

ブログ→国試勉強→国試→実験というバカ丸出しのスケジュールからお察しいただけるかもしれないが、私は計画性に欠けていて衝動的な行動が多い。

衝動的で非理性的な行動は避けるべきだと思いつつもやってしまうという性質は、よっぽどの大事件でもない限り変えられないものであると思っていて、こういう類の悪癖に向き合う際に私がよくやる行動は、その悪癖の根源であるモノを物理的に手に届かないようにするという方法である。具体的に言えば、衝動的悪癖の根源となる物を破壊して使えなくしたり、壊さないまでも物を1㎞以上離れた場所に置いて即座にアクセスできなくするという方法がある。(今日ちょうどそういう内容が好きなYoutubeチャンネルで紹介されていた※3)

が、今日の場合趣味で受けている試験であり、どうあがいてもダメなので、もう諦めてブログを書いている。

「諦めたらそこで試合終了だよ」と原作を読んでいない人ほど連発している気がする有名なセリフもあるが、これはまだ逆転が可能なシチュエーションで諦めかけている人物にかけられたセリフであり、原作をちゃんと読んでいる人間は今の私のような状況に対してこのセリフは引用しない。

負けるときには小さく負けるというのがストレスフリーな生活を営む上で重要なことだと私は考えている。(なんかのゲーム理論の本で読んだ内容だったかもしれないが、参考資料は忘れてしまった)

とにかく、私はブログを書くという行為をもって試合終了を自身に刻み、明日以降の勉強のためにこれから3時くらいまでは国試の内容の中でも基礎的な物理学に関連する部分を学習して、しっかりと眠ろうと考えている。

 

※1

www.nature.com

※2

studyhacker.net

※3


歴史的偉人が現代人を論破するアニメ【第16弾】

性格を発表する暇があったら好き嫌いについて語ってほしいと思う話

本文:

このブログを何個か読んでくださっている方にはお察しいただけているかもしれないが、聞かれてもいない話をダラダラとしてしまい、怒られることがよくある。

余計なことまで話す理由としては、その話をしている間に私なりに相手の様子を観察(話を聞いてるときの目線、相槌の頻度・音程、姿勢、表情等)していたり、次にどういう話をしたら相手のターンに出来るかを考えたりする時間を稼いだり、単純に喋るのが気持ちよくなってしまっていたりと色々なケースが挙げられるが、不評である場合が少なくないので、ここ1年間くらいからではあるが意識的に無駄なく話す方法を考えている。

自分語りは快感につながるらしいという話(※1)は聞いたことがあって、自身の話をし過ぎて相手のターンを奪うことが無いように気を付けてはいるが、どうにも自語りを抑制できずにベラベラと過去の武勇伝で間を埋める私が嫌いなタイプのおじさんになっていることもしばしばある。

札幌脳学校の唯一の入会条件として「校長との面談」を設定しているので、これまで札幌脳学校関係だけでも知らない人と1対1で喋る機会に恵まれていることもあり、喋ることへの苦手意識は薄くなってきたが、それは喋るということに対する不快感に馴化しただけであって、会話能力は上達していない。

余談ではあるが、この不快感、苦手意識は場数を踏むことで馴化していき薄めていくことが出来るという偏見は線虫の実験(※2)と経験から見出した話である。

そういったお喋り修行中であるという背景もあって、私は以前よりも、他人のお喋りにおける無駄だなと思う要素も気にしてしまうようになっていて、特に性格を自己申告する時間は要らないのではないかと感じている。

というのも、性格はその人の言動を観察してみてこちらが判断していくものであると思っているからである。自己申告される性格はあくまで、こう見られているとその人が勝手に思っていることか、その性格の単語に付随するイメージを戦略的に植え付けてきているかのどちらかである、と私は思っているので、ノイズだと思ってその情報はあまり聞いていない。

その性格を申告するに至ったエピソードの導入として使うのであれば、申告する意味はよく分かるが、「人見知りなんですよね」の一言で終わらせるのは情報として少なすぎて反応に困ってしまう。

結局性格の発表は、相手がこちらに形成する印象への方向付けを狙った小賢しいトラップか、その一言でこちらを察せよという傲慢な態度と受け取り、性格に関して言及されると少し身構えてしまうので、友達になろうとする会話ではどちらにせよ印象が良くないと私は感じている。

性格を自己申告した後に理由となるエピソードが来るパターンの性格発表を聞いてきた経験上、そのエピソードの内容は第三者との体験談であることが多く、今後ここにいる私とあなたとの関係性が今提示されたエピソードに近い傾向になっていくかどうかは、性格を発表された段階では分からないと思うので、これも情報として薄い気がする。

つまり、性格を発表した後にそう思うに至った理由を語ろうが語るまいが、情報としては薄い、と私は思ってしまうのである。

なので、性格の話を抜く場合の代替案として、好きなもの・嫌いなものの話をする方が話を広げやすいし、今の状態を相手に伝えてその場の会話を楽しむという意味でも、よっぽど建設的だと私は思う。(ただし、その好き嫌い(特に好き)を不変的なものとして捉えるのは危険なので、その場限りのものと考えるよう気を付けている(※3))

思う・感じるが連発されていることからお察しいただけるように、今回のブログは(も)、完全に愚痴&ど偏見の回である。

愚痴るに至った原因となる出来事には一切触れるつもりはなかったが、途中脳学校の面談の話を出してしまったので断りとして、「この愚痴を書くに至った出来事と脳学校面談は全く関係がありませんのでメンバーの方々はご安心ください。」と最後に添える。

 

※1

wired.jp

※2

www.ncbi.nlm.nih.gov

※3

www.hayakawa-online.co.jp

夜道を歩き頭のクールダウンを試みたらアゴがキンキンに冷えた話

まえがき:

人は匿名性が保証されていると感じるとき自己規制意識が低くなり、結果として情緒的・衝動的・非合理的な行動が増えるという話がある。(※1)

これは1969年には提唱されていた社会心理学の知見らしいが、個人的にすごく身につまされる話であり、全然古臭さは感じない。むしろ、SNSが普及した現代こそ共感できる人が多いような理論である気がする。

本来ネットで発信するという行為は、もっと慎重に行われるべきだと他の人の発言をみて日々感じているはずなのに、私自身けっこう不用意な発言をネットに残し、周りにご心配及びご迷惑をおかけするケースが少なくない。

人の脳の論理的な思考を司る部分の成長が完了するのは25歳くらいであるという話をちらっと見たことがあり(※2)、まだこういった不用意な行動を改善できる余地はあるんじゃないかと淡い期待を若干捨てきれずにいるが、基本的にこのしくじりまでの行動パターンを直すには自分は年を取り過ぎているのではないかと思っている面が強い。

なので、根本的に特定の失敗をする傾向を改善することは難しそうなので、そういった癖を抱えながらもしくじりに至らないように(もしくはしくじっても被害を最小限に)する術を考えるという方向性で反省は行う。

今日もちょっとしくじってしまったので、頭を冷やしがてら深夜に外を散歩しながらの一人反省会を行った。

 

本文:

札幌の夜は非常に気温が低く、息をするだけで肺が痛くなるような日もあるが、今日(2021年1月17日0時ごろ)の気温は-6℃程度、風もなく、肌はひりつくが耐えられないほどの寒さではない感じで、物理的に頭を冷やしながらお散歩をするには丁度いい天気であり、一面白い雪で覆われている道路は街灯を反射し、夜なのに外は明るく、空を見上げて唯一知っているオリオン座を探しても、それを構成する比較的明るい星々が辛うじて視認できる程度で、空の大部分はのっぺりとした黒であった。

散歩を行った時間は約1時間程度で、頭を冷やして歩きながら、昨日しくじってしまった原因を考えていた。

そもそも物理的に頭を冷やすことで頭が回るようになるのかはよく知らないが、あくびをする目的として酸素を取り入れることの他に、外気で頭を冷やすことも挙げられているという話も聞くので(※3)、少なくとも部屋にこもって考えるよりはましだと判断して始めた散歩であった。

しかし、昨日のしくじりに対する反省散歩は時間が経つにつれ飽きてきて、次第にもう反省はいいんじゃないかという気がしてきて、歩き始めて15分後からは純粋にお散歩を楽しんだ。

散歩のコースは日常的にランニングしているコースと同じで、景色の移り行くスピードが全然違うので新鮮味は多少あったものの、目の前の景色よりも余計なことを考えることに注意が向けられていた。本も読まず、景色も大して見ず、知っていることをもとに余計なことを考えながら歩くというのは気持ちのいいもので、気温の低さは気にならなかった。

とはいえ、散歩も終盤に差し掛かると冷えによる体の痛みが気になりだして、中でも特に気になったのはアゴの先端部分の痛みであった。私は丸いタヌキ顔で、普段生活していてアゴの尖りを意識する機会はほとんどないが、この時ばかりはかなりアゴが顔の末端部分であることが意識され、プロレスラーの猪木さんをはじめとするもともとアゴが出ている人はこの痛みがもっと鋭いのではないかなどと想像が膨らんでいき、家の前につく頃には思考のほとんどがアゴに関するもので支配されていた。

冷やすつもりであった頭よりもアゴが冷えて、その結果頭の中までアゴで浸食されてしまったというオチである。

 

あとがき:

書いた文章をザっと見直して、頭を物理的に冷やすよりも一度寝た方が冷静に反省できたんじゃないかと思いました。

 

 

※1

en.wikipedia.org

※2

www.urmc.rochester.edu

※3

www.webmd.com

老害という言葉を使うのは老害予備軍だと思う話

まえがき:

ブーメランはオーストラリアの伝統的な狩りの道具である。地理的にも日本とは離れた場所発祥で、博物館などでも似たような日本製の武器を見たことはないが、なぜかブーメランの認知度は高い。

私のお友達に教えてもらった知識の中でよく日常で観測するものが、ある人が特定の行動に対して怒っているときには、その行動はその怒っている人が普段周りに対してとっている行動であることが多いという話である。ある人が相手に対してした指摘が、指摘した当人にも当てはまる指摘だった場合、指摘された相手が「ブーメラン乙」等煽って不毛なチャットバトルに発展するパターンはYoutubeの複数返信が付いているコメントを探していけば5分もかけずに見つけることが出来るのではないだろうか。

そう考えると、「人の振り見て我が振り直せ」という諺は、他人を見て気になってしまう行動は自分も取っている可能性が高いから積極的に戒めていこうという意味でとらえると、自分に刺さるブーメランを投げて余計なストレスをためることを減らせる先人の知恵として、けっこう理にかなっていることなのかもしれない。

余談ではあるが、特定の神経回路の活性化により血管の壁に免疫細胞が通れる侵入口が部分的に出来ることをゲートウェイ反射と言い、このゲートウェイ反射がストレスによっても誘導され、ストレスゲートウェイ反射によって胃や十二指腸が炎症を起こして出血して、心機能の低下による突然死の引き金になるという話がある(※1)。原因がストレスによるものかは分からないが夏目漱石胃潰瘍で死んだらしい(※2)ので、私はストレスから来る胃の痛みをとても恐れていて、ストレスフリーで胃腸にやさしい生活を目指している。

 

本文:

非常識を目指す人間は常識に精通していくように、ストレスフリーな生活を考える私はストレスフルな生活をしているように見える人々を観察して反面教師としている。同年代でよく怒ってらっしゃる方々が頻繁に利用されているように思われるワードの1つに「老害」というものがあるように思う。どこの誰が考えたか分からない言葉だが、老人は敬うべしと刷り込まれる日本人の所業とは思えない面白い言葉である。

ネット辞書に書いていることを参照する(※3)と、傍若無人な振る舞いで若者に対して必要以上の迷惑をかける老人のことを指す言葉らしい。老害というワードが使われ得る場面としては、若いというだけで軽んじられてしまって若者個人が不利益を被る場合から、年長者の非合理的な判断により合理的な判断が排斥されてコミュニティ全体の不利益となっている場合まで、適応範囲が幅広く考えられるが、「あれ老害だよな」と発信する人間にはブーメランが刺さっているんじゃないかと思う場合が少なくない。

もちろん、老害という言葉のネット辞書的な意味で考えると、老害と発する人間が若者である場合老害には該当しないが、老害老害たる所以を考えた場合、その問題の焦点は老害と呼ばれる人の言動や思考パターンにあり、その老害的言動や思考パターンも含めたうえで「老害」を広義で捉えなおすと、「老害まじでクソよね」とおっしゃる人間は「老害」であることが多いんじゃないかと思っているのである。(同じことを2回言いました。)

というのも、まえがきの通り人が怒っているときには、その怒らせるに至った行動を起こっている人自身が取りがちだという偏見が私にはあるというのが1つ、そう思う理由としてある。もう1つそのように思う根拠として、老害と呼ばれる人間も呼ぶ側の人間も共通して自分以外の立場に立って考えることを苦手としているがために、周りに平気で迷惑をかけたり、「老害じゃん」と喚く人間に対する周囲からの哀れみも気付かずに発信するに至るのだ、という偏見がある。どちらも自身の経験を根拠とする偏見である。客観的な根拠もなく自身の経験ベースの偏見を喚き散らすのも「老害」の特徴ではないかと思う。

つまり、私も老害予備軍の一員であり、このブログの投稿によりでっかいブーメランが刺さっている。

 

あとがき:

申し訳程度にも脳の要素を入れるべくまえがきを書きましたが、本文はほぼ脳とは関係のない私の偏見です。醸造されて後に黒歴史となってくれるといいかなと思っていますが、このブログを黒歴史と呼べるほど将来が明るい保証もありません。とりあえず何かに対する怒りで書いた文章では無いということだけ断っておこうと思います。周りに優しく、気楽に生きていきましょう。

 

(※1)

pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

(※2)

ja.wikipedia.org

(※3)

www.weblio.jp

治験を受けない日本人の話

いいわけ:

一日外にいてから書くブログは今回が初めてである。いつもなら1000文字超のブログをキチンと改行して書いていくが、見た目を整えていく作業をしていくとブログを一本書くのに1時間近くかかってしまうので、平日のブログはよほど暇でやることがないとき以外時間をかけずにサラッと一気に推敲せずに文章を書き散らしていこうと思う。作業時間の目標は20分以内。

 

本文:

一昔前のテレビ番組でよくみた日本人すごいんだぞ系公開自慰行為番組は現在でも続いているのであろうか。SNSや(私の大好きな)Youtubeのコメント欄では逆に「日本人はダメ、海外では云々かんぬん」といった感じの日本を卑下する感じのつぶやきをよく見る。称揚するにしても卑下するにしても、そんなものを見て面白い気分にはならないので、周りを不快にさせないために私はこの手の発現は自重しているつもりであるが、今日の講義では治験において日本が欧米よりも劣っている点を学んだ。講義の実際の趣旨はGCPの詳細を見ていくというものであったが、最後の方で上記の内容をまとめたスライドが説明され、そこだけ強烈に覚えていて、脳学校的な内容として使えそうなものだと感じたのでこれをネタにする。日本の治験の根本的な問題は被験者の少なさにあるらしい。その理由について講義で聞いた内容に、日本人っぽさとはみたいなものをちょっとだけ感じたので紹介しようと思う。

まず、参加する意義を理解している人が少ないといったことが理由として挙げられていた。

そもそも日本には「社会」という単語がなかったため、その概念の輸入元である欧米の社会というものへの認識が日本人には浸透していない、といった感じの主張はよく聞くが、いまいち治験の社会的な意義について被験者の理解が得られないことが多いらしい。やる意義を理解されないから参加もしてくれないという問題なので、意義について広く教育していく必要があるみたいなことを講義をしている方はおっしゃっていたが、根本的に社会というものがあいまいな日本でその社会に役立つからということをいくら言ったところであんまり意味ないんじゃないかなという気がした。

第二に、署名をするということ自体に馴染みがないためにそこでビビってしまうということが挙げられていた。これに関しても、契約社会ではなく察する文化であるという文化的な基盤の問題になってくるので、私はこれもどうしようもないことな気がしていて、これに対する解決策を講師も提案していなかった。

第三に、そもそも国民皆保険なので治験なんて冒険をしなくても標準的な治療を誰でも受けられることが出来るためという理由が挙げられていた。しかし、チャレンジングな治験をしないと治療をうけられないような状況に陥ってる国は、保険制度が崩壊しているアメリカくらいなものな気がしていて、日本と同じような医療が誰でも受けやすい状況でも治験をうけるような国もあるんじゃないかという気がしてしまって、その点の比較も出さずにそんなことを言われてもあんまり納得できないといった感想をもった。

最後に、治験の前に副作用について詳細に説明されてビビってしまうという理由が挙げられていたが、これは普段医療用医薬品として処方されている薬の副作用について事細かに説明されていないからビビってしまうと講師が説明していて、この点だけはなんとなく腑に落ちた。薬局でも風邪薬についての副作用を事細かに説明しているのを見たことが無い。(実習ではやらされるのに)それこそ、科学的なリテラシー向上を図ることを解決策として考えていく問題なんじゃないかと思った。

ここまで書いて、脳(思想)要素あんまないなという気がしてきたが、書き直す気力もないのでもうこのまま投稿してしまう。

また1000文字以上書いてしまったし、20分余裕で超えてしまった。

 

※本文のネタとはちょっと違うけど日本の治験の問題点についてまとめてある文献

https://www.eiken.co.jp/uploads/modern_media/literature/200402-04.pdf

ja.wikipedia.org