横断歩道で失礼な独り相撲の話

※制限時間40分でブログを書いています。

 

36時間ぶりくらいに部屋から出て、最寄りのコンビニに買い物をしに行こうとしたが、風が気持ちよくて、屋外をもう少し堪能したくなり、コンビニをスルーして札幌駅まで歩いた。

 

道中最初に引っかかった信号で、爆音でカーステレオを鳴らしているために重低音が音漏れしまくっている車に出くわした。いい年こいて恥ずかしい人だなと一瞬思ったもの、最寄りのコンビニへ行くことを想定したパジャマ姿で外出していた私も人のこと言えたもんじゃないなと考え直した。横断歩道に差し掛かった時は進行方向の歩行者信号が点滅したくらいのタイミングで、歩いて対岸へ渡ってしまうこともギリギリ可能だったもののそこで止まって次の青信号を待つ判断をしたので、その回の横断歩道を待つ歩行者の中では私が一番古参であった。爆音ステレオカーもまた信号を列の先頭で待つ最古参組で、歩道も車道も恥知らずが一番前を陣取る状態となっており、対岸の人から見た景色を想像して一人勝手に可笑しく思っていたが、流石は非常識には耐性のある都会の方々で誰もこちらを見てニヤニヤしているような人はおらず、対岸の歩行者は皆一様にスマートフォンをいじるのに夢中であった。

余談ではあるが、脳のガンの一種であるグリオーマを構成するがん細胞は正常な神経細胞と繋がっており、神経細胞の興奮で浸潤していくかもしれないという話を聞いたことがある。*1

 

車道の恥知らずはどんな顔をしてるのだろう、と薄暗い車内に目をやると、つばのまっすぐな野球帽をかぶった肌の浅黒い半そでの青年で、髭は伸ばしていたものの嫌な奴な印象はうけなかった。考えてみれば、そんな車外に向けてスピーカーで好きな音楽をまき散らしているわけでもないし、時代遅れではた迷惑で誰も聞いてない街頭演説や、市民権を得ていると自惚れて喚き散らす石焼き芋の移動販売の方が、音量的にもその場での滞在時間を考慮してもよっぽど質が悪いし、それに比べればこの青年のEDMの音漏れくらいは可愛いもんじゃないか、と思えてきた。歩道の恥知らずは車道の恥知らずに共感し始めていた。歩道の恥知らずは隣に並んでいる同じ岸に居る老人が車道の恥知らずにガンを飛ばしているのに気づき、コロナ禍で心の凝り固まってしまったこの可哀そうな老人を啓蒙しようと、「まぁ、朝から晩までうるせぇ街頭演説とかよりはましだしなぁ」と周りに聞こえる声量で独り言を呟いた。車道の恥知らずのEDMに歌詞が無かったためか、マスク越しのつぶやきは老人の鼓膜を振動させ意味のある言葉として知覚されたようで、マスクで口元が見えないがゆえにそのつぶやきの発信者を特定できていない様子ではあったものの、ガンを飛ばすのを止めてくれたように見えた。余談ではあるが、聴覚による音響の認識と話し言葉の認知は別々に並行処理されていそうであるという話を聞いたことがある*2

 

信号待ちの1~2分くらいの間の出来事ではあったが、そこには人と人との「対話」があり、私はそこだけでなんだかテンションが上がってしまった。もう充分楽しんだし、その信号を渡らずに引き返して、初めに行こうと思っていたコンビニによって家に帰ろうとも思ったものの、もっと面白いものが見れるかもと欲を出して札幌駅まで歩いてしまい、恥をその横断歩道までで留めておけなかったうえに徒労に終わったのだが、それはまた別の話。

 

40分経ったのでここで終わる。

 

※久々に街を見てやたらスマホ触ってる人が目についたので

youtu.be

 

※お散歩からの惰性で衝動買い。読めるだろうか。

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