中二病の終りの話

※今日は比較的時間がありますが制限時間40分でブログを書いてます。

 

私の父親(通称まー)が好きなアーティストにオメガトライブという方々がいらっしゃって、普段まーはそういった自分の過去については語らない人間であるにもかかわらず、オメガトライブのライブに私の母親と二人で行った際の話をしてくれたことがあった。そのライブで聴いた曲の中で最も印象に残った曲というのが「ふたりの夏物語*1であったという。

まーは手放しに芸能人を褒めたりしない性格で、「目に触れる機会が多いからみんな騙されている*2が、あいつら(芸能人)はただの社会不適合者だ」という見解を持っている偏屈な人間ではあるが、この「ふたりの夏物語」については「杉山清貴(ボーカル)の声が音源よりも美しく歌のうまさに純粋に感動した」と絶賛していた。6月には父の日があり、夏が近づいてくることを気温や湿度からも感じ取ることができるので、いつもこの季節にはまーの夏物語についての話をこの曲とともに思い出す。

 

そんな基本的には冷徹キャラぶっている中二病のまーが、最近では情に流されて全然合理的でない判断をする様子がしばしば観測されて、私はキャラを守れていないことをからかいつつも、まーが着実に老いているということをその行動の変化から感じている。年を取って涙もろくなるのは脳の背外側前頭前野という部分が担う感情の抑制機能が衰えるからだという見方もあるらしい*3ので、高血圧で痛風持ちの不健康なまーが脳までも「不健康」になっていてもおかしな話ではない気がして、認知症になってしまった際の対策を少しずつ考えている。

 

そんなまーが先日ついに家族LINEで「さみしい」と呟くという事件があった。

ついにうちのまーにも中年の危機*4が訪れてしまったかと思い、急に精神疾患が興味の対象から身近な問題になった気がして、学部図書室に走り、診断も特についていないのに「抗不安薬睡眠薬の使い方」という本*5をタイトルだけを見て借りてきてしまった。結構古い本で普段なら借りないような本であった。感情に流されてあほな行動をするのは実はまーゆずりだったのかもしれない。

 

オチを見失ったまま40分経ってしまったのでここで終わる。