別に握れなくてもいいんだよと伝えたい話

※このブログは40分以内に書いています。

 

悴(かじか)んだ君の手を握り締めると「このまま時間が止まれば...」って思う*1、とはならない人もいるらしい。確かに、性器よりも敏感な手を結ぶという行為は、ある種、性行為よりも相手と繋がりを感じられるような特別な感覚なのかもしれないし、その共有する感覚を相手からの侵略と捉えるのであれば、手を結ばれるほど内心を見透かされているようで恐ろしく感じる瞬間はないのかもしれない。

レクで女の子の手を握ることに対して躊躇する様子を「気持ち悪い」と冗談交じりに教師に指摘されて晒し者にされて以来、これを克服するのに努力してきたつもりではあるが、いまだにいきなり挨拶でハンドシェイクを求める相手には(性別関係なく)警戒してしまう。

 

話は少し変わるが、積極的に見せびらかすように公の場で手をつなぐカップルに3軍感が漂うのはどうしてだろう、というあるあるを聞くが、これについてはある種、自然な流れなのではないかと私は思っている。

というのも、テレビドラマで恋愛描写を映し出す際には決まって美男美女であるのに対し、現実に街を歩くそのテレビドラマと同じようなことをするカップルは、BGMもなければ俳優ほどキレイでもない何のストーリー性もない中での「手つなぎ」なので、知っているイメージから比較すると圧倒的に薄味であり、まずこれが3軍感の一因になってしまっているところかと思う。また、大部分のそれほど美しくない、いわゆる普通の人々にとって手を握れるチャンスなど限られているし、共感に重きを置くのであれば、なりふりなど構うことなく、この儚い時間の中で、一番手っ取り早くかつ効果的に相手と繋がった感覚を味わえる行為に配分することは理にかなった振舞だと思われるし、次が無いと思っているからこそ大切にしようとする意志が感じられる。

これを3軍だと思う観測者の目が汚れているのである。

余談ではあるが、自身は何も毒などを持たない生き物が毒のある生物に擬態することをベーツ型擬態と呼ぶらしく、ホソヘリカメムシの赤ちゃんはアリに擬態するらしい。*2

 

私が手を握るということに緊張する理由には、レクでのちょっとした心の傷のほかにも、手が汚れているor臭い瞬間が多いということもある。

私は人間以外、とりあえず触れそうなものにはガンガン触っていくので、こまめに手は洗っているもののいつも手がちょっと人より汚い、と思っている。思い込みなので、案外他の人の手も同様に汚いのかもしれないが、手を握ってもいいと思うような相手は尊敬する人物なので、自分の方が汚いと思っている状況で相手の手を握って相手に穢れを移してはしまわないか一瞬躊躇してしまうところがある。

さらに余談であるが、人工神経を組み合わせて機械学習でその情報を統合することで認識エラーを少なくした人工触覚の研究が進んでいるという話を聞いたことがある。*3とはいえ、「私の代わりにロボットハンドで握手しましょう。感覚は共有してますんで。」などとは仮にこの技術が広まっても、両手を失ってない限りすんなり納得してはもらえないだろうと思う。相手にも私の生身の手の感覚を伝えることがこの儀式では重きが置かれていると考えられるから。

 

久しぶりに私以外の人間が似たようなことを言っていたのを聞いて嬉しくなってこんな「手を握る」という話だけで長々と書いてしまった。

とりあえず、気安く手を握ってきた人々にはちょっと引っかかってもらえたらななどと思いながら手を合わせてみる。