結局丹生ちゃんを見てほしかっただけの話

※制限時間40分でブログを書いてます。

 

声を出すのが億劫である、恥ずかしいという状況はよくある。

飲食店で店員を呼ぶためのベルが卓上に設置されていなかった時の、「あれ?ここ店員さんにすみませんって声かけるシステムなのかな」と思いながらテーブル周りをボタンの為にちょっと探すふわっとした時間がちょっと嫌。また、結局どうあがいても店員さんに声をかけるシステムで、勇気を出して「すみません」と言った際に誰も反応しなかった際にはちょっと恥ずかしいし、「すみません」を目の前にいる店員さんに投げて、耳に届かず腰で反射して地面に落ちた際にはなぜかちょっと心が痛む。

余談ではあるが、仲間外れにされた際の心の痛みをアセトアミノフェンという鎮痛剤が和らげるかもしれないという話がある*1

他にも声を出して後悔する場面をいくつか思い浮かべてみたが、どの場面でも共通して辛いのは、相手に伝えるべく出した声が伝わらないことだと思った。恐らく相手も意図的に無視をしているわけではなかったにしても、返事が返ってこないと一瞬泣きたくなる。

私はかつてクラスの人気者の「仲間に入れて」という申し出を、遊びに夢中で聞き逃していじめの標的になったことが3度ある。学習しない人間である。友人だけでなく親の言うことも全然聞こえていないことが多々あり、小学校時代に耳があまり聞こえていないのではないかと疑われて検査を受けたが、聴力検査の結果、聴力は正常で、耳が悪いのではなく人の話をちゃんと聞いてないことが判明してしまった。そのとき母親に「ごめんね。残念ながら僕、耳は良いみたい」と言い放った話は今でも繰り返しこすられる。

学部の医療コミュニケーションの講義で、「8割のミスコミュニケーションの原因は声の小ささが原因です」と教わった気がするが、その情報ソースは不明である。しかし、実際これがその講義をした先生の経験則であったとしても割と的外れでもないことを言っているのではないかという気がしてくる。声が大きいと散々喋ったあとに「え?」と言われることも少なくなって、聴き取られずに無視されたと誤解するストレスも減りそうである。

またも余談であるが、叫ぶことによって中枢神経による筋力の抑制を弱めて、通常出し得る限界の筋力を超えることができるという話がある。(シャウト効果というらしい)*2

声を張るというのは恐ろしいことだと私は感じるが、それによって余計なストレスを感じずに済むのであれば、ストレスフリーを目指す私としてはこの恐怖心を克服していこうと決意しかけたときにアクリル板とマスクの壁が声を張らざるを得ない状況を整えてくれた。と、勝手に解釈している。

 

こういう経緯で最近頑張って声を張っている*3。ので、疲れている。

40分経ったので寝る。