ナルシシストがウザいのは自分が大好きだからではなく、自分の大好きな自分をみんなも好きだよねを強要するからだと思う話

まえがき:

札幌脳学校では月に一度「オフ会」と称して、普段オンライン上でしかやり取りのないメンバー同士が集まり、一緒に食事をしたり、それぞれの最近勉強してきた内容を報告するオフラインでの会合を活動の1つとしている。現在(2021年2月)は新型コロナウイスルス感染対策により、この会合をZoom上で行う「オンライン全校集会」で代替しているが、正直な話、この会合は物理的に近い距離で会うことにより親交を深めて、オンライン上での普段の活動をより円滑にすることを目的とした活動なので、オフラインをオンラインに置換せざるを得ないのは致命的だと感じている。(物理的な距離がコミュニケーション頻度に負の相関があるという話は割と有名*1で、個人的にも周りで友人ができるまでの過程を観測する中で、関係の構築に個人間の物理的距離を近づける工程は触媒のような要素があると感じているためこのような発想の活動を設けた。)

オンライン全校集会になってからのメリットというのも一応あって、わざわざ会場まで足を運んでもらわなくていいということ、開催時間の融通がオフラインのときよりも利くことなどがあると感じている。

しかし、昨日の2月オンライン全校集会で新たに(個人的な性質に依存する)デメリットをまた1つ見つけてしまった。それは、いつでも参加できるというアクセスのしやすさと自宅から外に出ず参加できると言う環境から、油断してとんでもない遅刻をしやすいということである。

昨日起こった事件を例に挙げようと思う。

私は午前中から午後15時半くらいまで研究室で実験をしており、そこから16時ごろに切り上げて帰宅し、そこから20時に開催する予定であったオンライン全校集会に向けて発表資料を作成しようとしていたが、おおよそ話す内容も頭の中でまとまっており、まだ時間もあるし実験で疲れたので一休みしようと、タイマーを15分と1時間二段構えでセットした上でベッドに横になった。次に意識が戻ったときに時計を見ると21時12分を示していた。

もしこれが会場を設定してのオフ会であったなら、私は研究室から帰宅することなく、研究室でそのまま資料を作成し、適当に弁当なりお茶なりを喫して時間を潰し、会場に向かって定刻通りに開始できたとと思うが、オンラインで会場へのアクセスは最悪どうにでもなるという油断が今回の大遅刻につながったと考えている。

余談ではあるが、睡眠時間が短いのは健康上悪影響であることは有名な話ではあるが、寝すぎることによっても認知機能低下や精神・神経疾患のリスクが上がる可能性があるという話もされている*2

寝坊による遅刻に関して、久しぶりに来てくれたメンバーもいたようなので、本当に申し訳ない気持ちにはなったが、落ち込んで自分を責めようという気は微塵も起らなかった。

 

本文:

私は自分が他の誰よりも大好きである。なので、何かしらミスをしてしまってもそれに対して申し訳ないなとは感じるものの、そこから自己嫌悪に陥るような経験は幸運なことにいまだにない。

それと冒頭に書いた遅刻癖の話はまた別の話だとは思うが、遅刻してどう反省して今後改善するべきかを考えているときに、ふと思い浮かんだのが自己肯定感にはストレス緩衝的な作用がありそうだという話*3であった。

こういう大遅刻のような明白に自分に落ち度のある失敗をしたときに、めちゃくちゃ落ち込んでしまう友人が私にはいる。彼がいまの自分の立場に置かれたなら、肩を落として、口をへの字に曲げて、いつも以上に猫背になって黙り込んでしばらくの時間過ごすのではないかと、自分が遅刻したくせにそんな妄想が遅刻を認知した瞬間から始まっていた。この横道の妄想から、彼と自分の違いは何だろうと考え、自己肯定感に関する妄想へと移ったという大変友人に対して失礼な経緯があって自分大好き論に妄想が至ったのである。

経験上、「ナルシシスト」という表現を肯定的に使われていることはあまりないように思える。というのも、「お前ナルシシストだよね」という感じで相手をけなす際に使う表現を多く観測してきて、自称ナルシシストでそれを肯定的な文脈で使用している例を私があまり見たことがないからであると考えられる。

自己肯定感が高いことと「ナルシシスト」は何が違うんだろうと考えたときに、「ナルシシスト」認定をして人をけなすときというのは、その人が自身の好きな点をお前も好きだよねと押し付けてアピールしてきているときなのではないかと考え至った。

自分が大好きなのは勝手にすればいいと思うが、「自分が大好きな自分をみんなも好きでしょ」という周りへの押し付けというのがウザいので、「ナルシシスト」は嫌われるのであると考えたのである。

これはより一般化して考えることが出来る問題で、「空気の研究*4」という本で見た感情移入の絶対化という話にも通じることではないかと思った。

自分の好きなものは相手も好きだよねという思い込みに基づく押し付けは大体ウザいということが言いたいのである。

私は、自分のことを自分でけなしてそれを公に発表する人間も、このウザい「ナルシシスト」の類だと考えており、「負のナルシシスト」と呼んでいる。「ナルシシスト」が

嫌われるという一般認識が広がっているせいかあまり、こちらのタイプを見かけることは言うほど多くは無いが、「負のナルシシスト」はSNS上では結構見かけるように思う。対応が面倒なので、このタイプの「ナルシシスト」もみんなに嫌われるものだという共通認識が早く定着しないかなと思っているが、これは私が苦手なだけで周りは案外めんどくさいとは思っていないのかもしれないので、これ以上は語らない。

要するに、「自分が何を好きであるか」とそれを「周りに押し付けようとするか」は別の問題であり、周りに好きなものを押し付ける人間の内、押し付ける好きなものが自分自身であるのが「ナルシシスト」なだけで、押し付けずに勝手に自分大好きでいる分には問題ないだろうと思ったという話であった。

 

あとがき:

2月オンライン全校集会に参加しようと思っていたメンバーの皆さま、遅刻して本当にすみませんでした。それに関しては反省しています。ただ、落ち込んではいないので気にしないでいただきたいですし、また遅刻するかもしれません(火に油)。二度とないように対策はしていきますが、約束は難しいです。

こんな私ですが今後ともどうぞよろしくお願い致します。