同期の卒業アルバムに残した落書き

日本の制度上、大学に入学している人間は18歳以上である。現在日本人の寿命の中央値は90歳近くなっているらしく*1、単純に考えて我々北薬同期のうちの半数は卒業時点で人生が残り65年以上あると期待される計算になる。この後、「100年前の大正時代の寿命が40代前半*2で、薬学の進歩による影響がうんたらかんたらと述べた後に、その科学的進歩を現在進行形で推し進める人材となり得るスタートラインに我々は立ったのだ。さぁ未来に向かって羽ばたこう」的なノリは散々こすり倒されている挨拶文だと思うので、この方向性は避けようと思う。話は卒業時点で人生が残り65年だというところまで進んでいた。この寿命に関する話は、物理的にあと何年間生命体として恒常性を保っていられるかという話に過ぎず、生きていると自覚できる時間は恐らくもっと少ないと考えられる。人生を体感時間ベースで考えると18歳で半分ほど終わっている*3という話もある。認知症になって記憶が消えた後にもなお残るのは幼少期の記憶であることが多いらしいとも聞く。*4

つまり、我々が大学で18歳以降の寿命を削り過ごしてきた時間というのは記憶という観点からの人生でも大したウェイトを占めていなさそうなのである。メモリ面において大したウェイトを占めてい無さそうなのに加えて、物理的にも、残りの社会人(あるいはニート)として過ごす時間と比較すると短い。あえて言ってしまえば、そんな大学生活の僅かで薄い記憶の中での間柄を後生大事にして同期のみんなをずっと忘れずにいようぜというのは、すごく後ろ向きな考え方な気がしている。

 

結局何が言いたいかというと、このアルバムはなるべく写っている本人が開く機会は少ない方がいいもので、もし同期の人間でこんな私の長ったらしくて遠回しな文章を読んでいる暇な者があったら、もっと現在を楽しめる有意義な方向に寿命を費やしてほしいと言いたいのである。人生の体感的な短さを考えると思い出などに浸っている猶予はないはずで、このアルバムを開きこの長文をこのパートまで読み進めた者は大いに反省して欲しい。物理的な残り時間などあてにせず、月並みな言い方になってはしまうが、今を楽しく生きて欲しい。

今後ともお互い頑張っていきましょう。さようなら。