夜道を歩き頭のクールダウンを試みたらアゴがキンキンに冷えた話

まえがき:

人は匿名性が保証されていると感じるとき自己規制意識が低くなり、結果として情緒的・衝動的・非合理的な行動が増えるという話がある。(※1)

これは1969年には提唱されていた社会心理学の知見らしいが、個人的にすごく身につまされる話であり、全然古臭さは感じない。むしろ、SNSが普及した現代こそ共感できる人が多いような理論である気がする。

本来ネットで発信するという行為は、もっと慎重に行われるべきだと他の人の発言をみて日々感じているはずなのに、私自身けっこう不用意な発言をネットに残し、周りにご心配及びご迷惑をおかけするケースが少なくない。

人の脳の論理的な思考を司る部分の成長が完了するのは25歳くらいであるという話をちらっと見たことがあり(※2)、まだこういった不用意な行動を改善できる余地はあるんじゃないかと淡い期待を若干捨てきれずにいるが、基本的にこのしくじりまでの行動パターンを直すには自分は年を取り過ぎているのではないかと思っている面が強い。

なので、根本的に特定の失敗をする傾向を改善することは難しそうなので、そういった癖を抱えながらもしくじりに至らないように(もしくはしくじっても被害を最小限に)する術を考えるという方向性で反省は行う。

今日もちょっとしくじってしまったので、頭を冷やしがてら深夜に外を散歩しながらの一人反省会を行った。

 

本文:

札幌の夜は非常に気温が低く、息をするだけで肺が痛くなるような日もあるが、今日(2021年1月17日0時ごろ)の気温は-6℃程度、風もなく、肌はひりつくが耐えられないほどの寒さではない感じで、物理的に頭を冷やしながらお散歩をするには丁度いい天気であり、一面白い雪で覆われている道路は街灯を反射し、夜なのに外は明るく、空を見上げて唯一知っているオリオン座を探しても、それを構成する比較的明るい星々が辛うじて視認できる程度で、空の大部分はのっぺりとした黒であった。

散歩を行った時間は約1時間程度で、頭を冷やして歩きながら、昨日しくじってしまった原因を考えていた。

そもそも物理的に頭を冷やすことで頭が回るようになるのかはよく知らないが、あくびをする目的として酸素を取り入れることの他に、外気で頭を冷やすことも挙げられているという話も聞くので(※3)、少なくとも部屋にこもって考えるよりはましだと判断して始めた散歩であった。

しかし、昨日のしくじりに対する反省散歩は時間が経つにつれ飽きてきて、次第にもう反省はいいんじゃないかという気がしてきて、歩き始めて15分後からは純粋にお散歩を楽しんだ。

散歩のコースは日常的にランニングしているコースと同じで、景色の移り行くスピードが全然違うので新鮮味は多少あったものの、目の前の景色よりも余計なことを考えることに注意が向けられていた。本も読まず、景色も大して見ず、知っていることをもとに余計なことを考えながら歩くというのは気持ちのいいもので、気温の低さは気にならなかった。

とはいえ、散歩も終盤に差し掛かると冷えによる体の痛みが気になりだして、中でも特に気になったのはアゴの先端部分の痛みであった。私は丸いタヌキ顔で、普段生活していてアゴの尖りを意識する機会はほとんどないが、この時ばかりはかなりアゴが顔の末端部分であることが意識され、プロレスラーの猪木さんをはじめとするもともとアゴが出ている人はこの痛みがもっと鋭いのではないかなどと想像が膨らんでいき、家の前につく頃には思考のほとんどがアゴに関するもので支配されていた。

冷やすつもりであった頭よりもアゴが冷えて、その結果頭の中までアゴで浸食されてしまったというオチである。

 

あとがき:

書いた文章をザっと見直して、頭を物理的に冷やすよりも一度寝た方が冷静に反省できたんじゃないかと思いました。

 

 

※1

en.wikipedia.org

※2

www.urmc.rochester.edu

※3

www.webmd.com