トイレの龍馬さん

※制限時間40分でブログを書いています。

 

坂本龍馬の日めくりカレンダーが実家のトイレに飾られていた時期があった。

今ではお笑いコンビのノンスタイル井上というひとの名言カレンダーみたいなものが、竜馬のいたところにかかっている。竜馬の日めくりカレンダーがかかっていた時期は、毎月同じ日に同じ名言が来るものの、飽きることなくカレンダーはひめくられていたが、井上さんのカレンダーはときどき「キスは最高のリップ」などファミリー向けには一日トイレに飾って置きにくい文言が混入しており、ときどき不自然に日めくりを忘れられている日がちょくちょくあって、そんな調子なので日めくりの習慣がなくなってしまい、今ではトイレの井上カレンダーはずっと同じ日を示したままヘビースモーカーの父親によるヤニで黄ばんでしまっている。習慣が形成されるのに3週間は必要だという俗説はあるようだが*1、井上カレンダーによるひめくる習慣の削除には3週間もかからなかった記憶がある。

 

坂本龍馬の名言カレンダーは2~3年ほどめくられ続けたので、36周ほど同じ文章を繰り返し読み通したことになるが、記憶とは儚いもので、高校生時代にはおおよそ全部覚えていた日めくりカレンダー中の名言も今ではほとんど覚えていない。しかし、一応断片的に覚えてるものはいくつかあって、中でも「これからの時勢はもはや決死剽悍の暴勇だけでは間に合わぬ。一人で天下を動かす気概と智恵が必要だ」というものがある。

これは司馬遼太郎*2の考えたセリフなのか、坂本龍馬が実際言ったことの伝聞なのかはよく分からないが、人一人でも天下を動かすつもりの気概と知恵を併せ持っていなければ何者にもなれないというようなニュアンスの言葉だったと記憶している。坂本龍馬の他の名言に「金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。」という感じのものがあったらしいので、実際一人で大仕事をなすというのは無理な話だと分かっている人がそれでもやはり一人でも天下を動かすつもりで気概も知恵も持っておくべきだと言ってるのが良いなと思う点で、いまでもこれは覚えている。

余談ではあるが、ヒトの社会的に隔離された状態が続くと睡眠不足や過食気味になるという現象をハエで再現すると、脳内が飢餓状態のときと似たシグナルを発していたことが分かったという話を最近聞いた。*3

 

山登りで登山道から逸れてプチ遭難した際にも思ったことではあるが、ヒト一人が出来ることというのは実際大したことはないし、ヒト一人は自然界においてもすごく脆く弱い存在である以上、快適に楽しく生きていくためにはどうしたって何らかの社会というものには所属せざるを得ない。その社会が特定の技術に習熟した人々による支えあいで近代的で高度なものとして成り立っている以上、ある程度餅は餅屋と専門家を信頼してそこに依存して生きていかなければならない。ただ、その社会において自分が大きく貢献しようと思う際には一人でも世の中を、社会を動かしてやるぜ的な気持ちとそれに伴うだけの知恵を持っておかなくてはならない、という考え方を坂本龍馬の日めくりカレンダーから私は学んだ。

 

だから、コロナ災禍でヒトとの交流が表面上絶たれている状況にあっても、腐らずに毎日少しずつ色々な形で勉強をしていこう、とノンスタイル井上の「SNSをポジティヴに楽しむための30の習慣」を読んで改めて思った。*4この本は4年前に妹から誕生日プレゼントとしてもらったもので、井上日めくりカレンダーをトイレに飾ったのも妹である。

 

坂本龍馬のカレンダーだった時期に好きだった曲

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雨後の筍は孤独な僕のきのこを慰めてはくれない

※制限時間40分でブログを書いています。

 

君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる、と言うのは、君が笑えるくらいの影響力を持っていることが前提となる。ただその場しのぎでなせる勝手に周りに嫌われるような簡単かつ衝動的な暴挙への安い決意風の自己満を歌ってはいない。君が笑えるということを実現するためだけに力を蓄えたその末に自身は(君も含めて)周囲から憎まれるような存在にもなっても構わないのだという自滅も厭わない気持ち歌っている。という解釈をしたうえで、私はこの曲が嫌いである。

 

悪というのは立場上の話であるから、君が笑うために僕がなる悪は何に対しての悪なのか。上の解釈だと、君が与する方と反対の立場が悪という感じになっているが、君と僕が他の立場に対して一緒に悪になっているというパターンも考えられる。後者の悪のパターンならまだ分かる。僕の笑ってほしい君が笑うためには、何かしらの立場から見た悪グループに所属しているから、君の味方である同じ悪グループに僕も所属しますよという意味の歌になるからあんまり覚悟はいらなそうである。別に表現は悪になるじゃなくても、例えば、僕は内心きのこの山派だけど君がたけのこの里派だからたけのこの里派になる、でもいい。もっと率直な表現で言い換えれば、君とずっと一緒にいるでもいい。君が笑ってくれるなら僕はずっと一緒にいる。めっちゃダサくなった。が、これならまだ可愛い感じがする。

 

しかし、前者の悪になる場合、きのこたけのこの例を続けるのであれば、たけのこの里派の君が笑うために僕はきのこの山派筆頭になって、たけのこの里派が勝利するような八百長試合を陰で準備する、というようなことを言っていると考えられる。これは全然人間らしくないし可愛げが無い。

きのこの山派筆頭になるまでの過程でもずっと僕はたけのこの里派の君にとっての悪であり、その最終目標が君が笑うことであるのに肝心の君に僕はめちゃくちゃ嫌われることになる。そんなモチベーションのやつがきのこの山派筆頭になんて上り詰められるだろうか。仮に最初はそういうモチベーションできのこの山派閥に潜入したとしても、僕はきのこの山派で力をつけて行く過程で確実にきのこの山に愛着がわいてきてしまう。その派閥が最初は僕にとっても悪であったとしても、力をつけていく間にきのこの山派の組員達にも慕われていくだろうから、「僕さんのきのこの山派を支える姿勢、尊敬するっす」なんて後輩も出来て、君が笑うためのきのこvsたけのこ戦争の前に、君にとっての悪の組織であるきのこ派に僕の帰るべき場所、僕のファミリーが出来上がってしまい、もはや僕の中でのきのこは悪ではなくなる。そうなったときに僕は「きのこの山も悪くない、全力でこのきのこの山派に貢献していきたい」と思いはじめ、「君が笑ってくれるなら」なんて動機は忘れ去り、きのこの山派を上り詰めるための動機は「ファミリーの笑顔をみたいから」に変化していくのが自然である気がする。

 

しかし中島みゆきの「空と君のあいだに」は、僕が「君が笑ってくれるなら」の初志を貫徹し、ファミリーの笑顔を踏みにじっても、たけのこの里が勝利する八百長試合を僕にさせることを力強く歌うのである。狂気。人間の所業ではない。全然可愛くない。僕は八百長試合のあとにファミリーからも裏切り者として悪と認定されるであろうし、たけのこ派の君はもはやたけのこ派の別の男とくっついて、僕に対しては笑いかけてくれることはないだろう。踏んだり蹴ったりの僕。僕の母は恐らくそんな結末を迎えるために僕を育てたのではないと途方に暮れる。ファミリーにも母にも君にとっても悪となり果てた、君が笑ってくれた後には何も残らない。僕は、「否、君が笑ってくれたからそれでいいんだ、その君が笑ってくれたことを思い出に余生を過ごすんだ、君が笑うために頑張った過去は残るんだ」と自分に言い聞かせるかもしれないが、誰もそんな悪の僕を語り継ぎもしないし、僕はみんなに疎まれて独りで小さく死んでいくだろう。冷たくなった僕の手のひらに載っているのはたけのこ、きのこ、どっちだろうか。

 

全然注釈もつけず、脳と関係ない話をしてしまった。

みなさんはたけのこ派きのこ派どっちですか?

 

※ご本人の歌がYoutubeで探せなかったのでカバーバージョン

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本当にあった今日の話

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ドラッグストアで生理用ナプキンやコンドームを買うと、中身が見えない袋に入れてくれる。これによって、中身の見えない袋を持っている人は、何か見えないように配慮されているものを持ってる人なんだなということが何となく分かる。一度もらった中身の見えないビニール袋を使いまわしてレジ袋代をケチっている私のような人間は、中身の見えないドラッグストアの袋について知っている人から、あらぬ誤解を受けることになる。

 

隠そうとすると余計に目立つな、ということを化粧品検定の勉強をしているときに思っていたが、今朝ドラッグストアに行った際に上の話を思い出した。木を隠すなら森の発想の元、100万円メモ帳の間にへそくりで3万円ほど仕込んで修学旅行に持っていっていい上限額を超えたお金を持ち込んだことがあったが、財布の中身を検められることはなかったので、無駄な隠ぺい工作に終わったことがある。100万円メモの中にある、台紙に糊付けされていない本物の1万円札は不自然に浮いており、典型的な隠そうとして目立ってしまった失敗例として記憶している。

余談ではあるが、トラはあの目立つ縞模様で茂みに擬態しているようで、獲物となる動物の色覚が乏しいのであれでも一応成立しているらしい。*1

 

ドラッグストアでの買い物は、シャンプーと洗顔用フォームとお菓子で、薬は購入しなかった。シャンプーも洗顔も風呂場でかびているボトルの詰め替え用のもの購入したので多少なりとも地球にやさしい買い物をした気に一瞬なったが、実際のところ子の詰め替え用パックと元のボトルでは作る際の環境負荷がどうなのかよく知らないし、なんで詰め替えが地球にやさしいと思っていたのか、その刷り込みがどこで行われたのかを思い出せず、もやもやしながらドラッグストアを出ることとなった。またまた余談ではあるが、シャンプーが目に染みるのは浸透圧、pH、刺激性添加物の影響によるものであるらしい*2という話を聞いたことがある。

 

ドラッグストアを出た後はゴリゴリに化粧した後輩に会い、読みたかった本を貸してもらった。後輩は、目の周りに重点的な化粧の跡が見られたので、そこがコンプレックスなんだろうかと一瞬考えたが、マスクで顔の下半分はあんまり見えないのに対して、目の周りはよく見られるからコンプレックスでなくても化粧は厚くなるか、などと失礼な事ばかり考えていた。そういう視線は極力伝わらないように努めはするものの、相手に伝わってしまうものであるから、あとで「何かさっきあいつにキモい目で見られた」等の陰口を叩かれても仕方ないな、と考えながら本を回収して研究室へ向かった。

あんまり関係ない話だが、昆虫は代表的な捕食者がトカゲ、ヘビ、クモなど動くものを追う習性があるものであることから、襲われた際に死んだふりをするものが割とよくいるらしい*3

 

寄り道をしながら研究室へ行ったので、コアタイムとして居なければならない時刻を1時間半過ぎていたが、私の席は一番奥まったところにあり、居ても居なくても明かりが点いていないので、シレっとだいぶ前からいた顔をして遅刻を誤魔化した。

バレていたとは思うが、特にお咎めはなかったのでいつも通り悪びれることなく過ごし、研究室での操作は終わって論文などを一人で静かに読みたくなったので、コアタイム終了よりも早めにこっそり帰宅した。土日を挟むので時効を狙った。

 

40分経ったのでここで終わる。と毎度書くが、実際40分経つ前に終わっていることもよくある。

 

※嘘にまつわるお気に入りの曲

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老害気質、黒船から来た根性論との出会い

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札幌駅前の紀伊国屋書店によく行く。よく行くとは言っても、月に1~2度程度ではあるが。行って毎回本を買うわけではない。本を買わないときは店舗を歩いて売られている本の表紙を眺めたり、気になったものを手に取って序章までに続く部分の書き方や目次を立ち読みしたりする。

この間は他の店に用事があり、その店が開店する時間を1時間勘違いしてしまったので、開店するまでの暇つぶしとして紀伊国屋書店で本を見て回っていた。Twitterでもよく本の情報をリツイートしていたり、出版社からの新刊情報をチェックしていたりするのでいくつか欲しい本は頭にあったが、タイトルが思い出せなかった。その情報が必要となる状況に限って、それがパッと思いつかないことはよくある。

関係ないかもしれないが、アイデアの出し方として、何が知りたいのかハッキリしていないから詰まるのでは?とイシューから始めよという本をおススメしてもらい読んだことがある。*1問題設定から解決方法までちゃんと整理して考えられていてすごいなぁと感心した覚えがあるし、「悩んだふりをするな」という考え方はいまでもよく手が詰った際に頭に出てくる。著者はマッキンゼーという情弱の先輩ですら噂していたような有名な会社に居たことがある人らしく、それも手伝ってか、この書籍はベストセラーとされていて、いまでもけっこう書店の目立つところで見かける。

 

書店にベストセラーが多すぎて、それのありがたみも感じにくいし、内容的に大したことないなという個人的にハズレ感のあったものもベストセラーになっていたりしたので、あまり本を選ぶ際の基準にはしたくないとは思っているものの、自宅の本棚には割とベストセラーが多いのは、「お主は正規分布の山のところにおるつまらない凡百な頭の中身です」という証拠が提示されているようで、メンタルがボロボロな状態で家に帰った際にはとどめの一撃になったりする。

しかし、紀伊国屋書店でのお散歩中、洋書が安くなっていたのを見て、パッとあまり中身を見ずに買ってしまったのがまたベストセラーであった。

中身をチェックせずに買ってしまった理由としてまず、目につくところに置いてあったことが挙げられるが、それ以上にタイトルがちょっと笑ってしまった。

 

GRIT

Why passion and resilience are the secrets to success

 

GRITは「根性」と覚えていたので、洋書でデカデカと根性って書いてる本があるじゃん、という時点でもう面白くなって買おうという気になっていた。海外を引き合いに出す海外エアプ勢の指す「海外」は欧米であると相場が決まっているし、根性論をくさしているつもりでただ自身の怠慢の言い訳をしているだけのときに、この「海外」という言葉が出てくるなという偏見があった。その偏見がより、この英語でスマートなフォントで「根性」ばばーん、な表紙を面白く感じさせていた。下のちっちゃく続く「なぜ情熱と打たれ強さが成功の秘訣なのか」と読める文もいいスパイスを効かせていて、静かな書店で声を上げて笑いそうになった。*2

 

果たしてこの英語根性論を購入し、最近読み始めたわけだが、読み終わるころには札幌脳学校の老害校長として完成されているかもしれない。

 

40分経ったのでここで終わる。

 

※根性で思い出したお気に入りの曲

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ロードローラーな話

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ブログを継続して書いているおかげというか弊害というか、最近はこれを書こうかあれを書こうかというテーマがパソコンの前以外でよく思いつくようになってきている。

ただ、パソコンの前、もっと言えばブログを書く前のまっさらな画面を見ると、さっきまで色々考えていた話がどこかに行ってしまい、とりあえず制限時間の中で画面を埋めていくべく思いついていない状態で書き出し始めるので、結局なんだか書きたかった話とは違った方向性でお話しが進んでしまう点は改善されていない。

いつもなら、200文字くらい打った時点でボンヤリとあの余談を入れようと浮かんできて、リンクするサイトを確認して、その次に出す余談も芋づる式に思いついて、なんとなく話の流れみたいなものは決まってくるのだが、400文字を目前にしていまだ何を余談として入れようか迷っている。何も書きたい流れが無い上に全体としても流れが出来ていなのであまり迷う意味は無いかと思われるかもしれないが、一個目の余談をつなげにくいものにするとつながりとなる後の話を考えるのが難しくなってしまうという問題があるので2手くらい先が思いついていないと悩んでしまう。

 

しかし、500文字を超えたここでもはや何も書きたいことが出てこないので、文章の構成的にも時間的にも、いい加減そろそろ無理やりにでも話題を出さねばならない。今日聞いた話は、アブラムシにはほとんどの種類にブフネラという共生細菌がいて、このブフネラはアブラムシが体内で合成できない必須アミノ酸を合成することが出来る生き物であり、そのアブラムシの必須アミノ酸を合成する遺伝子以外が祖先の細菌種からごっそり抜け落ちているためにアブラムシの特定の細胞内以外では生きていけないという話である。アブラムシは草の汁、つまりほとんど糖分と水みたいなものしか食べられないのに農作物に被害をもたらすほど爆発的に増えることができるのもブフネラの栄養供給のおかげであり、ブフネラもアブラムシの生体システムに依存して生きている。抗菌薬でブフネラだけ殺してもアブラムシは餓死するらしい。*1

 

これを「何かが出来なくなるということは、それを出来なくても生きていける幸せな環境に辿り着いたということ。出来ないことが減ることだって進歩だぜ」という風に捉えるのも、「進歩じゃなくて進化だから。世代またいでるんですけど。君のはただの老い衰え」などと言われそうでオチとして使うにも締まらなそうだし、まだ一つしかリンクを貼れていないうえにあんまり脳の話と関係ない。

 

アブラムシがブフネラと栄養共生しているように、ツェツェバエという血を吸うアフリカのハエも栄養共生していて、この共生細菌もブフネラ同様にツェツェバエに頼ればいい部分は遺伝子としてはごっそりカットされており、ツェツェバエが食べ物(血液)から摂りにくいビタミンを供給する役割だけは立派に残っているらしい。*2

 

このツェツェバエは睡眠病と呼ばれる感染症の原因となる寄生虫を持っていて、ヒトがツェツェバエに血を吸われると感染するらしく、この睡眠病は症状が進行していくと寄生虫血液脳関門という脳のバリアを突破して中枢神経に感染し、病名の由来となっている睡眠障害を始め、さまざまな行動・感覚の異常を引き起こすらしい。*3

 

と、適当に選んだ話でなんとか今日もこじつけでも話を脳にからめることが出来たし、文量もちょうどいい感じである。確実に私は何か身に付けつつある。お友達と過ごす時間が減ったことによって…というところまでは細菌と対応させられなかった。世の中アブラムシの吸ってる糖質汁ほど甘くないようである。

 

40分経ってないけど、眠いのでここで終わる。

 

※この話を書いていて思い出した曲

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おれは39℃三日間出たけど、みんなは??な話

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新型コロナウイルスのワクチンを2回摂取し終えた。

大学内の人全体に向けた機会で摂取したので、会話の内容に困ったタイミングで副反応についての話題を出しても、「その話いい加減飽きたわ」とはならず、助かっている。話題の賞味期限内での共有が若者間だけにとどまらず、色々な世代の人達と出来るというのは面白いもので、いまは終戦直前生まれの祖母と流行りものの話で盛り上がれる。

この経験を伴う世代を問わないホットな話題の共有の機会はそうそう訪れるものではないから、こういうときこそ知らない年上のおじいちゃんとサウナで語り合いたい気分に駆られるが、私は生活スタイル的に、おじいちゃんの集まるようなところに一番行ってはいけない人間なので、身近なおじいちゃん、教授、と話すことで気分を誤魔化している。余談ではあるが、日本の大学における40歳未満本務教員比率は現在24%弱ぐらいらしい*1

 

私の体験したワクチンの副反応は発熱と頭痛で、1回目のワクチンでも2回目のワクチンでも同様に39℃近い熱が3日間続いて左側の耳の上のちょっと顔側の辺りが痛み続けるというようなものであった。対策としては、アセトアミノフェン200mg(カロナールでおなじみの解熱鎮痛剤)を4時間に一度くらいを目安に、1日3錠を限度に服用し、あまり眠り過ぎても頭が痛くなってくるので、頭を使わないでも見れる映画を見たり、日向坂46の推しメンじゃない子の画像を漁ったり、雲を眺めたり、座ってできるヨガをしたりして過ごしていた。*2

 

両親にもワクチン接種予定日を知らせていたので、ワクチン接種後にLINEをもらったが、彼らにこの副反応を伝えたところで何もいい影響はないうえに、苦痛を和らげるうえで無力であると判断して、2回とも「全然平気。このワクチン本当に効いてるのかしら?ってくらい。遊びに行きてぇ」と返信した。両親は共に高血圧持ちなので、良くも悪くもあまり血圧を上げるような情報は共有しない。

 

頭があまりにも痛すぎる時には、凍らせても使えるタイプのお弁当の保冷剤を手ぬぐいを巻いたうえで、注射を打った腕と逆の腕で痛む部分にあてがってボーっとして痛みがひくのを待った。*3同じところにずっと当てて頭の皮膚が痛くなってきたら別角度で当てて、試行錯誤を経て、結局髪の毛が厚く生えている部分に置いておくのが丁度いい感じであると分かった。

 

なんだかんだワクチンのために3日間ずつ費やした日々はボーっと何もせず過ぎたので特に面白い事件はなかったし、正直、平熱で悩む毎日よりも楽だったのだが、くだらない副反応のマウント合戦になった際には「39℃で三日間×2回」という出オチで優勝していく所存である。

40分経ったのでここで終わる。

 

※熱が出てた時に一番見たMV

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最近の本の読み方の話

※制限時間40分でブログを書いています。

 

最近あまり一冊の本を通読するという時間を作れておらず、色々な本を隙間時間に一章分ずつ読み進めるという、少年ジャンプの連載を追うような読み方をしている。

この読み方のいいところは、プライミング効果*1みたいな感じで色々な人の言い分を頭に入れた状態で周りを見れる(気がする)ことがある。

ただこの読み方の悪いところは、途中の内容を本ごとにいちいち思い出して読んでいかねばならぬので、通読するよりも圧倒的に時間がかかってしまうということがある。学習の効率で言えば、定期的に思い出して復習していく作業が入る分いいのかもしれないが*2、時間がかかってなかなか一冊の本も読み終わらないという状況は、同じようなことを長いパートを割いて言っているような本を読んでしまった場合、途中で飽きてしまう。

 

そんな同じ主張にダラダラとページを割くような本は悪書で読む価値のないもの*3であるとバッサリいければいいのだが、そんなに悪書を見抜けるほど目が肥えているとも思えないし、飽きてやめるにしても多少後ろ髪を引かれるところもあったりして、部活を退部する時くらいの精神的な多少のダメージをくらう。(逆に言えば、私が部活を辞めるのはそれくらいのノリだともいえるが。)

 

そんな少年ジャンプ式の読みでも最近ようやく通読できた本がちらほら出てきて、今日は「美容資本」*4という見た目を美しくすることに時間やお金をかけることによる効果を調べてみましたという内容の本を読み切った。読み切ったが、美容にお金や時間をかけることで恋愛や幸福度や年収に良い効果がありそうだという割と予想の付く結論で、そんなに驚きはなく、ただ今後も地道に見てくれも気にしていこうと思うだけの本だったので、読後には「あんまり興味のない話を長く読んで疲れたな」という長い買い物に付き合わされた後に似た感覚が残った。

 

面白そうな本だと思って買い、まだ読み切れていない本は棚にたくさん積んであって、それでもまだSNSなどで流れてくる本の中で興味がそそられるものに目移りしていくこともあり、いくらお金を使ってしまったと反省しても懲りることなく定期的に数万円単位で出費してしまう。美容に金を使ったら人生楽しくなるよ的な本よりも、本に投資したらこんないいことあるかもねという本を探して買うべきだった気がしたが、「美容資本」を買った当時は男性用化粧品に興味があったので仕方なかったという気もする。

 

結局たらたらと書いて、いつもより文字数は稼げていないが、ここで40分経ったので終わる。

 

※DaiGo氏と勘違いされた元総理のお孫さんを誤ダイゴと呼ぶYoutubeコメを見て思い出した曲

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