だから彼女いないんだろうなが凝縮された話

※寝る前の40分でブログを書きます。

 

天気予報は聞いていないが、おそらく北海道の真夏のピークは終わった。

毎年7月下旬から8月上旬は期末テストなり色々と時間を取られて外に遊びに行けず、それでもいい天気の日が続き、ようやくお散歩をする余裕が出来たタイミングで数日間にわたる雨の日が始まり、雨が明けたらもはや夏は過ぎ去っている。

そういったタイミングで思い出してしまうのが、フジファブリックの「若者のすべて*1で、人並みに少しだけさみしい気持ちになったりする。

さみしい気持ちになったりするといったが、冷静に考えてみると、さみしくなるような未練を夏に残していないので、みんながさみしいというからさみしい気がしているだけなのである。残念ながら今日もいつも通り楽しくて平和な一日であった。

 

久しぶりにいい天気で、気温も暑すぎず、外でのんびり1時間ほどお散歩でもしたい気分であったが、お散歩をしたとて一人じゃ虚しいだろうと自身に言い聞かせて、朝から研究室に向かい、特に研究室内の誰とも話さずに一人で黙々とお勉強なり、実験操作なりをして時間を浪費した。一通り用事を済ませた後、どっちみち虚しい一日であったのだから、お勉強して偉いと肯定できる選択をして得をした、と一人で変な言い訳をして、研究室を出た。

朝起きてから研究室を出るまで全然笑ってなかったことに気が付いて、その状況がおかしくて足元を見つめながら、マスクの中で鼻息をもらすようにススッと笑った。うつの中核症状のひとつにアンヘドニア*2というものがあり、何も楽しくなくなってやる気がなくなることをいうのだったなと思い出した。こういうときに焦って何か楽しいことを思い出そうとしたり、かつて楽しかったことをやろうとするとしてしまうと、思いの外楽しくなくて、余計に気分が沈むことは経験的に分かっていたので、あきらめてこの凪の感情を見つめて今日の残りを過ごすことに決め、家に向かて歩き始めた。

楽しくないとは言っても、退屈でないわけではないので、どうせなら気が滅入ることをしようと思い、自分の父親(通称まー)の頭を鉄アレイでかち割る想像をしてみた。

医学生ではないので本物の人間の脳は見たことがなく、鉄アレイで殴るところまでは想像できたものの、そこからどのように頭が損傷するかがイメージしにくく、頭をかち割るときにかかる筋肉への負担や手の感触も見当がつかなかった。ただ、葬式には出たことがあったので、まーの葬式の様子とその後の家族の生活を思うと、狙い通り気が滅入ってきた。ついでに気持ちも悪くなってきたので、残りの帰り道は背中に1㎏以上の本を背負ってはいたものの、全力疾走の8割くらいの力で走って帰った。

余談ではあるが、運動をした際に筋肉から出る乳酸は、脳に届いて認知能力を高めるらしいという話を最近聞いた気がする。*3

 

家に着いた頃には、体のほてりとマスクをしたまま走ったことによっていつもよりマシマシになっている息苦しさで、走る前とは別種の気持ち悪さが喉元まで上がってきていたが、清々しい気分になっていた。そんな単純なことでメンタルが回復する自身の単純さに笑いがこみあげてきて、今度は口でへッと声を出した。それを聞いてか隣のマンションの玄関前でタバコを吸っているおばさんに怪訝そうな顔をしてこちらを見てきたが、失礼ながらその顔がブサイクでついついブフッと吹き出した。こうなってしまったらもう笑いをこらえる方が難しいので、走り過ぎて吐きそうだからこうなっているんですよという嗚咽の演技をしながらそそくさと自宅マンションのエレベーターに逃げ込み、エレベーターの中で一人であることを確認したうえでマスクを外して一日分を取り返すぐらい笑った。

 

今日も安眠できそうである。愛していますおばさん。