Blue Tues Dayの話

※洗濯機を回している間にブログを書いています。

 

研究室に復帰した。

先週の金曜日にようやく薬局での実習が終わったので、3連休きっちり休んでから復帰した。といっても、3連休にやっていたことと言えば、飯を食っては寝ての繰り返し。食ってから眠気がくるまでは読書をして、読書が疲れたら漫画を読んで、漫画も意味が読み取れなくなるぐらい疲れたら眠って、起きたら腹が減るのを待つのに本を読んで…という具合であった。

余談ではあるが、糖尿病の治療薬であるメトホルミンが老化に伴う諸症状を改善するかもしれないという話がある*1。食事制限をする実験動物の寿命は通常よりもちょっと長めであることは良く知られているが、この3連休で私は命を削ってダラダラしていたのかもしれないと考えると、何も考えずに食っちゃ寝てができるのもある種若さの特権なのかもしれない、などと怠惰な休日の過ごし方の正当化へ走ってみる。

ダラダラと一切外に出ずに過ごしたせいもあって、雨が降っていたにも関わらず、今朝家を出た際には外の世界がまぶしくて、伏し目がちに行く先のアスファルトを眺めながら、トボトボと研究室へ向かった。

 

研究室に着いた際には、自分の家に負けず劣らずの暗さで、どうにか消耗を抑えて一日を過ごせそうな気がした。節電期間中らしく、私の可愛い線虫(C.elegans)ちゃん*2たちは、大型のインキュベーターからビジネスホテルの冷蔵庫くらいのサイズの保温箱に移されており、かなりの低栄養でも生き残ることができる幼虫の状態でうねうねとうごめいていた。幸い培地にカビは生えておらず、妙な細菌が粘り気のあるからしマヨネーズ状のコロニーを形成している、なんてこともなかった。

私が飽食の三連休を過ごしている間に、この1ミリ足らずの虫たちは極貧栄養条件下で親の屍を食らいつつ、身体に蓄えてある脂肪を少しずつ消費しながら、成長を抑えて、サバイバルしていたわけである。

 

極貧栄養状態の線虫は色々と使いにくいので、生き残った線虫たちの中から一部を培地ごと切り取って、エサである大腸菌がたくさんまいてある新鮮な培地に移し替える。せっかく生き延びてきた子たちも大部分はゴミのように燃やされる運命にある。遺伝子組み換え生物であるために野に放つわけにもいかない。いつもこの操作では、心が痛みはしないものの、命のはかなさを思い知る。自分の人生の意味を探しての自分探しというのが一昔前に流行っていた気もするが、生命に意味などなく、自分が生きた様を見聞きした人が勝手にあれこれと人生に解釈を付けるだけで、本質的には単なる地球上におけるエネルギー循環の一つでしかない、というのが私の生命に対する見方である。(最近死生学に関する本を読んだ影響も少なからずある)*3

と、ちょっと悟った感じの雑念に捉われながら、線虫の命の選別を済ませた後は、ザックリと新しい論文をチェックして、夕方になるまで論文と教科書を行ったり来たりしながら時間をつぶして、集中力が切れたなと感じたタイミングで帰宅した。

 

帰宅する際にはいつも好きなバンドの曲を聴きながら帰っているが、今日一番耳に残ったのはGreen Dayの「Boulevard Of Broken Dreams」であった。歌詞が分かる人からすれば安直極まりないと思われるかもしれないが、なんとなく一人で夕方に帰るシチュエーションに合っている気がしてある種ノリノリでポケットに手を入れてうつむきながら傘もささずに歩いて帰った。

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洗濯機は止まっているのでオチはないけどもう寝る。